成寿一覧表

善光寺秋彼岸法会 特別法話

九月二十一日、善光寺では恒例の「秋彼岸法会」が行われました。
当日は七〇〇人の檀信徒の皆さんが全国から集まり、「午前の部」「午後の部」 共にも釈迦殿がいっぱいとなる盛況でした。
また、昨年の春の彼岸法会に引き続き、駒沢大学名誉教授 佐々木宏幹先生に特別法話をいただきました。
佐々木先生にはレジュメ(要録)をご用意いただき、このレジュメに沿ってわかりやすく日本人の自然感覚や死生観を通じた「無常」について、お話をいただきました。
その興味深い内容に、一時間にわたる法話にも檀信徒の皆さんは熱心に耳を傾けておられました。

無 常 観

駒澤大学名誉教授 佐々木宏幹

次の世界へ旅立つ

  ご縁がありまして、昨年の三月十八日、春のお彼岸に『彼岸について』というお話を皆さまに申し上げました。今回はそれに引き続いて、「無常観」をテーマにお話をさせていただきます。
  無常というのは、いうならばこの瞬間、瞬間の移ろいです。このごろメデイアでは若さを保つとか、五十代の人が三十代の若さに戻るとか宣伝していますが、仏教では「生まれたものは必ず年を取る」、年を取ったものは病にかかりやすくなるので、この世にどんなにしがみついても、やがて「さよなら」すると説いています。それを「生老病死」といっています。
  それで、お坊さんであろうと一般の人であろうと、国王、大臣であろうとも、その「無常の風」は人間だけでなくあらゆるところに吹いてきますが、これにかなうものはありません。無常の風が吹いてくると、それを助けようがない。どくへ行くか。仏教では仏様の国に行く。そしてここにお祀りしてあるお釈迦様と同じような平安な境地になる。その平安な境地がここのご本尊の姿形に現われているわけです。拝まれたあとに、じっと仏像を見ておりますと、「いいお顔だなあ」と皆さまはお感じになると思います。
  この世にある間、ああいう表情になるということはよほど修練し、修行をしないとできません。しかし、亡くなった後は、この世の欲得づくめのものを全部捨て去ってしまいますから、仏教の立場から見ればまさに、お釈迦様のところへ旅立つのは、不幸な話や悲しいことではなくて、そのとき初めて、我々の執着(しゅうじゃく)とか欲望とかとおさらばして次の世界に船出していくことができるのです。
  次の世界、それはどこか。仏教徒であれば、お釈迦様のところに行くということになります。ここにたくさんのお塔婆がありますが、お釈迦様のところに、今、向かいつつある方々に対して、この世から功徳をつんで回向するわけです。
  功徳というのは一種の力でありますが、その力を亡き人にめぐらし向けるというのが、回向です。功徳を回向する。皆さまがお寺にお集まりになって、手を合わせ亡き人を思い、その人がどうぞあの世で安泰でありますようにと、心から願いを込めたものが、この塔婆です。お墓に行ってこれを建てて、「どうぞ安らかに仏道修行してください。お釈迦様のところへ行って下さい」と語りかけるのも彼岸のあり方の一つだろうと思います。


今日は一日だけ

  「最期の時」には、いろいろな生き方があります。日本にも二度来ていますが、アメリカの有名な医学博士キューブラー・ロスは、『死ぬ瞬間』という本に死ぬ際にはいろいろな苦しみがあっても最後は「非常に澄んだ時間がそこに訪れる」といっています。  
  アジア的な感覚ですと、広い野原にタンポポとか、スミレとか花がたくさん咲いている。そのようなところへ最後はすーっと行くというのです。黄金色の光がすーっと射してきます。だから死ぬことは恐ろしくありませんと、それがキューブラー・ロスの結論です。  
  どうして死んだこともない医学博土がそんなことを言えるんだと思うかもしれません。ところがお医者さんから「亡くなりました。ご臨終です」といわれたのち、三日、四日とか長いと十五日ほど経って、ひょっとこの世に戻ってくる人がいるのです、臨死、死に臨んではいるのだけれども、もう一回戻ってくる。お医者さんが「もうこれはダメです」と言った人が、「何日か経って戻ってくる」ということがあるのです。  
  ハッとして意識が戻る瞬間。研究者は臨死体験には二つあるといいます。仏教が広がるアジアでは、「あの世」はきれいな牧場のように広くて、草や花がたくさん咲き、そして小鳥がさえずっている。そこにあたたかい黄金の光がすーっと光っているところに行く。ところがキリスト教のヨーロッパやアメリカの臨死体験をみるとそれとは逆です。暗いトンネルをずーっと垂直に落ちていくのです。これをトンネル体験と言います。どうしてなんだろう。宗教の違いがあの世の違いにも表れているのではないか。ご存知のように亡くなることをキリスト教では「昇天」といいます。天空遥か彼方の神のいるところまで昇っていくからです。われわれは「逝去した」です。「逝」も「去」も「行く」です。「ここを去る」ということです。仏教やアジアでは、あの世というのは水平の彼方にあるということと、花が咲いた草地であるということです。  
  今日の話は日本人の「無常」の感覚についてです。「無常」というのはお釈迦様がお悟りを開いて世界全体の真理に頷かれたことの中味です。これがお悟りです。  
  「無常」という言葉は仏教の基本的な教えで、人間でも、動物でも、植物でも、つくられたものでも、一切のものはことごとく生滅してとどまることなく、移り変わるということです。「当たり前」といいながらも、なかなか私たちにはこの当たり前を深く自分で納得するということは難しいものです。  
  あらゆるものが留まらない、この瞬間にも動くということが真埋であるから、生まれたものは「さよなら」するのは当たり前です。ところが私たちはそれを頭では理解しても、どこか吹っ切ることができません。永遠に若さを保ちたい。そこで医学も、それから諸科学も、人間の命を長くもたせるためにさまざまな研究をしてきました。女性でしたら、お化粧とか、食べ物をこうすれば若さを保てるとかです。このごろテレビのコマーシャルを見ていても、特別なクリームを使って化粧をすると、ほんとうにこの人は七十代かなと思うほど変化します。メディアの宣伝ですから、効果も個人によって違うはずです。あの通りになるとは誰もいえないわけですが、そういう努力をしても、「所詮ダメ。な時はダメ」そう見定めましょうというのがお釈迦様の結論でした。  
  ところが私どもはその見定めがなかなか利きません。ですからお一医者さんから「自分の奥さん、且那さんの延命装置をどうしましょうか」と聞かれたときに「延命装置なんていらない、自然然に死んでいくときは死んでいく」といい切れる人が日本人には非常に少ないのです。ダメだっていわれてもなおかつ少しでも生きたいという意志です。他面そういう意志があるから、この辛い浮き世を生きていけるのです。  
  しかし、辛い浮き世で生きても、必ず人間はこの世にさよならしなくてはならないというのがお釈迦様の結論です。そして、「いつかさよならをしなくてはいけないのだから、今日一日とかこの一時間とかいうのが非常に大事ですよ」ということなのです。いろいろな職場によって辛さもあれば楽しさもあるのですが、今日は今日っきりと思って生きていれば、その意味が違ってきます。自分が納得する人生の意昧です。  
  仏教にもいろいろな解釈がありますが、しかし大筋では「人生の無常」という点で一致しています。「無常だからこそ努力をしなければならないし、諦める時には諦めなくてはいけません」。仏教はこのことをいろいろな角度から述べているのです。


多神教と日本人の死生観

  日本の仏教はインドに生まれて日本で育ったものです。今、日本では九五%ぐらいの人が仏教徒です。そして、その人たちが同じように神道の人たちでもあります。つまり、仏様を拝みながら、最寄りの神杜の神様も否定しないで、元日や七五三にはそちらにも行きます。仏教も神道もどの宗教が正しく、どの宗教はダメとは主張をしません。  
  一方で「一つの宗教は絶対だから、あとのものはみんな間違っている」というのが、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などのような一神教といわれる宗教です。今でもイスラム教であるイラクの人々はスンニ派とシーア派の二つに分かれて戦っています。車に爆弾を積んで、人が集まっているところでドカンと爆発させる。あの仕方は、仏教からは原理的に出て来ませんし、出にくいのです。一つの神をたてることは純粋です。そのかわり他を排除しなければ、純粋性は保てません。だから、他の神様はみんな異教徒になってしまうのです。ところが我々は神道の神様をみても八百万の神を拝んでいます。神々をちょっと数えても八百万もある。そこにインドから中国経由で来た仏様がたくさん加わった。諸仏諸菩薩や仁王様や諸天を入れれば、すごい数になりますが、そこで喧嘩が起こったでしょうか。喧嘩をしません。  
  円空仏をご存知ですか。円空という僧があちこちに泊まったお礼に仏様を木に彫って、残しました。中には重要文化財級のものもあります。古い木に仏像を彫るのですが、日本では古い木には神様の魂が宿ると教えられています。古木にしめ縄を張るのは、「ここに神様がいます」という印です。ところが円空はその古木にお釈迦様や阿弥陀様や地蔵様の像を刻みました。神を体とする樹木に仏さんの魂を埋め込んだのです。これは一神教ではできません。だから円空仏は神仏仲良く、神様と仏様と一緒になった神仏習合ということを象徴しています。そして、それはいかにあの世が自然と同じかというところに重なってきます。つまり、日本の仏教はあの世を「大自然」に見いだしました。日本には、五○○年代に仏教が入ってくるのですが、それ以前から大自然の中に神様を見いだしていました。その例をあげると、昔、日本人は亡くなった人は最寄りの里山へ行って住むと考えていました。今でも奈良県あたりで見られますが、農村地帯の田んぼの周辺にある集落の背後のあまり高くない山、その里山の中ぐらいのところに穴を掘って死者を埋めたのです。そうするとそこから亡くなった人が村の自分の生まれたところ、あれが本家で、これが別家、あれが孫別家…と見ていて、そこで長男、次男が果たして田んぼをきちんと耕しているかを見ているのです。ニューギニアの先住民族も、亡き人は少し高みに行って穴を掘って埋めますが、お正月とお盆には、そんな亡き人が戻ってくると考えています。そうすると里の人がご馳走をたくさん用意して、歓待をするという風習がずっとあります。  
  日本も同じです。自然の中で霊界に行ったものとこの世の杜会に残ったものの交流が生まれます。それを仏教では「感応道交」と呼びますが、その通じ合い、コミュニケーションする間にあの世に行った人々が、仏様だとか、神様の子どもとしてだんだん成長していく。ちょうど生まれた赤ちゃんが両親に育まれて大人になるように、あの世に生まれた仏の子どもたちは、この世から回向されて、いろんな功徳をおくられて、あの世で仏様へと成長していくのです。山形では死者が近くの山に集まって、二十年、三十年かけてだんだん成長すると、月山や湯殿山や鳥海山など、二〇〇〇m、三〇〇〇m級の山に行って、そこで神になるという信仰があります。そのように、亡き人がだんだん先祖になり、神になるところに仏教が人ってきて、仏教の力によって、今まであった「あの世」観、つまり山に行って、あるいは野にいて、そしてだんだん神になるというのを仏になるにしました。それを「日本仏教の自然感覚」と考えています。仏教の伝来により、「この世というのは何か、あの世というのは何だろうか」という大昔からの死生観に変化が生じます。そして、死者が行く山は「浄土」や「地獄」という名前に変わっていきます。それを学問の上では「山中他界観」といいます。海抜一八○○mとか二〇〇〇mの山へ行くと、高山植物がある季節にバァーツと咲きます。東京や横浜あたりの人口過密地帯から行った人は「ワァー極楽みたい」と思わず感じてしまいます。昔の人々もあの空気の澄んだ山間の原をみて「ああ、仏様が住むのはこういうところか」とイメージしたのでしょう。だから、浄土が原などと呼ぶ。浄土というのは最も清まった土地で、西方、西のかた、十万億土にあると仏教では教えました。十万億土といえば、天文学的数字です。インドではそれを教えました。ところが日本人はそんな天文学的な数字を感覚することができませんでした。お浄土をすぐ近くの二〇〇〇m、三〇〇〇mの清らかな山の上に想定したわけです。ですから、「浄土が原」とか「阿弥陀が原」とか呼んだり、火山が吹き出すような硫黄の臭いのするところを「地獄谷」「賽の河原」といい、子どもが亡くなった時に、そこで石を積んでいると鬼がやって来て、蹴って転がしてしまう。このような伝承を生み出してきました。


栄枯盛衰と自然の摂理

  「常がない。あらゆるものが生まれたら滅する。必ず生滅、生滅を繰り返していく」という日本の仏教の「無常」。非常に冷徹な哲学を日本人は自然に重ねて感覚しました。お米でも大根でも麦でも、春はこの世に人間が誕生するのと同じように若々しい芽がエネルギッシュに萌え出て、夏になるともっと盛んにイキイキとして、秋になると子孫を残して、冬になるとさよなら。これが自然の春、夏、秋、冬ですが、それに重ねて仏教は「生、老、病、死」ということを教えました。「自然の移ろいに生死(しょうじ)を見る」。自然の移ろいと人生の真実とが重なっている。大自然の中に人間の奥深いありようを見ているという宗教者はたいへん多いのですが、ここでは曹洞宗をお開きになった道元禅師の和歌をご紹介しましょう。  
  春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり  
  この涼しいというのは、普通の涼しいではなくて、寒いとか、冷たいという意昧が込められています。鎌倉時代の意味です。春は燗漫と花が咲く。夏はホトトギスが鳴く。秋は月が美しい。澄んだ大空に月が浮かんでいるさまに、美学のようなものを日本人は認めています。そして、冬は冷たい。このことを道元禅師は「本来の面目」と書いているわけです。本来というのは本々とか本物の本です。面目は、本来の姿、真実の姿という意昧です。そうすると真実の姿というのは、春は花に象徴され、夏はカッコウやホトトギスに象徴され、秋は月の美しさ、冬は雪の降る姿…。「季節それぞれの姿が真実を表している」というのが道元禅師です。  
  良寛さんはご存知ですね。良寛が六十四歳の時に詠んだ俳句があります。当時は人生四十とか五十の時代ですから、六十四歳といったら大年寄りですが、  
  六十四年夢裡に過ぐ、世情の栄枯は雲の往還  
自分は今年六十四歳になったけれども、過去を振り返ってみたら、夢幻のように過ぎたなあ。ここまでは我々もそうですね。六十年、七十年、いちいち覚えていられないけれども、それを顧みてひと言にまとめるとなれぱ、「夢みたいに生きた。苦労もあったし、楽しみもあった」と、なります。そこまでは人生を反省しているのですが、世情の栄枯があります。この世の中の栄えたとか、衰退したとか…。大会社が景気がいい、ところがバブルがはじけたら、全てつぶれていく。栄枯盛衰です。その栄枯盛衰というのは、社会的な事実なんだけれども、それを大自然の営み、雲が静かに動いている、あるいは風が吹いて急に動いている、それにのせて境地を詠んでいるわけです。この世の中には不幸もあれば、幸福もある。けれども、幸せだろうが不幸だろうが、みんな霏霏と浮かんでおって、流れに従って、雲は風のままに動きますから、雲の去ったり、来たりするの同じだと詠んでいるのです。同じく良寛の俳句に  
  裏を見せ、表を見せて散る紅葉
があります。良寛は修行を積んで、六十四、五歳でこの境地に至ったのですが、我々にはなかなかできないものです。我々は表を見せたい。下に着ているものは地味なものでも、人目につく上着だけはきれいな恰好をしたいと、誰しもが思っています。「飾りたいし、いい面を見せたい。なんとなく後ろめたいところは隠しておきたい」のが、この世の人生です。ところが良寛のようになると、「裏も表も見せる。素っ裸に生きていこう」。それを紅葉にたとえて、葉は綺麗な表だけ見せているのではなくて、裏表全部を見せているのだ、というのです。


『葉っぱのフレディ』の無常観

  不思議なことに、カリフォルニア大学で哲学を教えていたレオ・バスカーリアというイタリア系の学者が仏教や日本人の人生観や無常観に近い形の童話を書き残しています。彼は何年か前に七十四歳で心臓麻痺で亡くなったのですが、心臓を悪くしてからアメリカや世界の子どもたちのために「生きる、死ぬ」ということをわかりやすく残しておきたいと考えて書いたものが、それです。  
  春になると葉っぱが萌え出てきます。楓なのですが、楓が春には小さな芽を出して、その幹からどんどん葉っぱが増えてくる。夏になるとそれが濃い緑になる。秋になると黄色くなって、霜が降りくると落ちて死んでいく。そしてまた、来年の春になるとその落ち葉が肥やしになって、次の葉っぱが出てくる…。葉っぱの命の循環を人間に例える、擬人法といいますが、その一枚の葉っぱがフレッドです。それをフレデイと呼ばせています。霜がだんだん降りてくると、一枚一枚葉っぱが散っていくわけです。散っていくことは死んでいくことです。人格を与えられたフレッドも、あたりを見たら、風がすーっと吹いて来たら、また一枚、あの友達も往ってしまった。元気そうにしていた葉っぱクンもいなくなった。フレッドが話をしている相手がダニエルという兄貴分ですが、「春、夏、秋とよかったけれども、冬をひかえて死ぬの嫌だよ」と、駄々をこねるのです。そのとき、ダニエルがフレデイに語った言葉、哲学者のレオ・バスカーリアの言葉が「世界は変化し続けているんだ」でした。これは「無常」です。「世界は変化し続けている。変化しないものは一つもないんだよ」。これも仏教的です。人間も、作られたものも、どんな石で作ったものも、やがてはなくなります。  
  人間の死もそうなのです。「若い、若い」というのが「がっちりとした大人」になり、「大人なんだ」と思っていたら、だんだん「腰が曲がる」「足が不自由になる」ということなのです。それが「自然の変化」とここでとらえているところに注目してください。  
  この童話の翻訳書『葉っぱのフレデイ』は百五十万部以上も売れました。なぜ、売れたかを朝日新聞の『天声人語』では、「この童話の中身が日本人の古くからの死生観に重なっている」からと、評していました。日本人は現代、近代、儲け、儲け、儲けばかりをいっていますが、心の奥深いところでは「あらゆるものは変わっていくものだ」ということを感覚的に納得しているのです。  
  では、我々は、葉っぱのフレデイのように「もう、ダメだ」というときに、そのまましょうがないと死んでいけるでしょうか。九割近くの人々が延命装置を付けても生きたいと考えています。ここが人間のまたおぞましくも悲しいところであって、そこで延命装置を付けてもダメな場合にどうするかが問題になります。  
  仏教では、「せめてあの世では仏様のような境地、道元禅師のような気持ちに近づけるように、良寛和尚のような裏を見せ、表を見せてという心になってください」という願いが、このお彼岸の法会となるわけです。


無情の真理は大自然の境地

  最後になりますが、昨年の十二月二十九日の日にこの世を去られた先代、黒田武志老師について触れておきます。  
黒田老師は季刊誌『成寿』の中に毎号、必ずどこかに、「諸行無常の真理」を書いておられました。たとえば「万法に証せらるる」については、法というのは一切のものは無常であり、移り変わる。その移り変わる姿そのものが法です。人間も移り変わる。草花も山も宇宙さえも移り変わっていく。それが法という言葉の中に入っています。そうすると、さまざまな法によって人間は悟らされているんだ。身も心もがんじがらめの状態から解放されて自由自在で安心した心のあり方、これを「身心脱落」といいますが、これが道元禅師の遺した『正法眼蔵』に出てきます。それを黒田老師はこう解説してます。  
  「我執(がしゅう)、自分の執着(しゅうじゃく)を捨て去り、清浄(しょうじょう)な清らかな自分を取り戻すこと。これが大事で、そのためには大自然の流れに身を任せることが大切である。春、夏、秋、冬。花が美しいと思ったらもう枯れてしまった。桜が咲いたと思ったら「三日見ぬ間の桜かな」で、雨がひと降りしたら散っていく。その自然のあり方、法則性と自分がひとつになったとき、身も心も一切の束縛、つまり煩悩と我執から解放されて、お釈迦様のような清々しい姿になれるのです」と。あのようなお姿になるのが仏教の目標ですから、生きている間にはなれなくても、せめて亡くなってから、この世の財産も全部捨て去ったとき、あのような姿になるための条件が揃うのです。つまり無常の真理を大自然の流れに見て、大自然の境地になることを「悟り」と黒田老師は見ておられました。  
  先代さんは今も仏の道をひたすら歩んでいらっしゃるはずです。今度はその後を継がれた、お弟子さんでもある博志さんが、ひたすら先師、黒田武志老師の後を慕って一歩でも二歩でも近づき、ご老師を通じてお釈迦様に近づこうとして、今一生懸命修行しておられます。檀信徒の皆さまにはそのお姿を見て、心から協力していただきたいということを述べ、私の講演にかえさせてもらいます。ありがとうございました。

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