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成寿 第37号 〈新連載〉 『普勧坐禅儀』に学ぶ その一

駒澤女子大学 教授 安藤 嘉則

一、はじめに
  曹洞宗は道元禅師・瑩山禅師を両祖と仰ぎ、今日その法統が脈々と伝えられ、全国に約一万五千もの寺院が全国各地に展開しています。浄土真宗は真宗十派で、二万二千と大きな寺院数を占めており、特に大谷派(約九千ヶ寺)と本願寺派(一万五百ヶ寺)、二派が大きいのですが、一つの教団としていうならば曹洞宗は伝統的な日本仏教の諸宗派の中で最も大きい勢力を占めているといえましょう。 この曹洞宗には道元禅師や瑩山禅師によって打ち立てられた坐禅の宗旨がその根本にあるのです。しかし坐禅というと特別な修行として考えられる方もおられるのではないでしょうか。曹洞宗の檀信徒の方々でも坐禅の経験がないという方も多いというのも残念ながら事実だろうと思います。そこでこの『成寿』の紙面をお借りして改めて坐禅というものの今日的意義について解説させていただきたいと思います。 そのためのテキストとしてここでは道元禅師の『普勧坐禅儀』を取り上げます。大本山永平寺をはじめ各僧堂では、夜坐といって開枕就寝前の八時から九時までの一日最後の坐禅において、この『普勧坐禅儀』を雲水たちが一斉に読みあげます。なんともいえぬ荘厳な雲水たちの『普勧坐禅儀』の読誦は、坐禅を組みながら長い一日の修行の最後を締めくくるのにふさわしいひとときです。あの夜の坐禅堂での荘厳な声の響きは雲水たちの修行中の忘れられぬ思い出となっているはずです。 ところで道元禅師は比叡山において出家なされて修行をなさった後、三井寺の門を叩き、さらに臨済宗の栄西禅師が開いた建仁寺にて修行を続けられました。そしてさらに真の仏法を求め、二十四歳で中国に渡ります。諸山を遍参して天童山の如浄禅師の下で身心脱落の体験を経て二十八歳になって京都の建仁寺に戻って来られました。帰国後しばらくこの建仁寺にいらしたのですが、この頃に早速執筆されたのがこの『普勧坐禅儀』であるのです。この書は坐禅の方法や思想について日本で最初に紹介した書物ですが、単に初めてというだけでなく大変深遠な内容となっています。 執筆当時まだ三十にもならない青年僧でありましたが、これを拝読しますと、はたして今の二七八歳くらいの僧がこのようなすばらしい坐禅の本を書けるであろうか、と思ってしまいます。今では坐禅に関する本は本屋や図書書館に行けば、たくさんあり、それも写真入りで丁寧に説明されています。しかし道元禅師の頃、日本には禅宗が栄西禅師によって伝えられたばかりで、そうしたマニュアルのようなものはまったくありませんでした。そんな状況の中で坐禅の心とその具体的作法をこれほど的確でさらに格調高く表現することができたということに対して驚きの思いを感じざるをえないのです。

二、『普勧坐禅儀』の題目
  そこで『普勧坐禅儀』の一文一文を取り上げて解説していきたいと思いますが、まず今回は『普勧坐禅儀』の表題の意味について簡単に説明いたしましょう。この題目は普く坐禅の儀則(やり方)を勧める書物ということです。この最初の「普」というのは文字通り誰に対してでも、ということですが、これまで日本では知られていなかった坐禅の仏法を広く天下に示すという意味です。ここに坐禅の仏法が「弘法求生」のため、つまり万人の救済のためであり、これを衆生、に伝えていこうとする道元禅師の高邁な理想と信念が伝わってまいります。 ただ、坐禅といいますと、実際には特殊な苦行のように考えられています。うかうかしていると後ろから警策でひっぱたかれる、そんな恐怖心もあることでしょう。やはり基本的には坐禅とは主としてお坊さんたちが修行として行うこと、つまり特別の人たちのためであり、これによって悟れるかもしれない、と漠然と考えられています。しかし道元禅師が本書において、「上智下愚を論ぜず、利人鈍者をえらぶことなかれ」とおっしゃっているように、坐禅という実践について、頭がいいとか悪いとかの能力の差は問題ではなく、すべての人のために普く開かれているという意味が、この表題に含まれているのです。 たとえば頭のいい人であれば仏教の専門的術語をきちんと把握し、『正法眼蔵』のような難しい禅の本を頭で理解できることもあるでしょう。確かに経典や禅の語録に書いてあることは一生懸命辞書を引いてその意味を理解することはできるのです。教理に明るいというのは仏教を学ぶ上でとても大切なことです。しかし経典や禅語録のことばの意味はわかるけれど、それを本当に理解するということ、すなわち体解すること(体でうなずくことができること)であるかというと、私はそうではないと思います。かくいう私も頭で理解してしようとしてしまう方なのですが、昔、こんな経験がありました。大学四年の頃だったと思いますが、授業で華厳経というお経を、ケンブリッジ大・オックスフォード大・東大・京大・パリの国立図書館に所蔵されるサンスクリット語写本、そしてネパールから発見された写本など十数点以上を比べながら、さらにチベット語訳や漢文の注釈などもならべて、経文の一節を解釈していましたこの写本の文脈と別の写本とは少し系統が違うなどと写本同士を比べて授業で発表していたのです。あるとき大学の図書館ではなく県立図書館でこれらの写本をならべて、腕組みをしていたところ、かなり高齢の方が私を尊敬の眼差しで見つめていることに気づきました。象形文字だかインダス文字だか訳のわからぬ、不思議な、写本を調べている青年にびっくりしたのだと思います。その視線を受けて私はなにか自分がとても偉くなったような優越感を抱いたのを覚えています。 しかし今から考えると、そのころの自分はまさに、ペダンティック(エセ学者的)で偽物であったと思います。要するに学問をしているような気分、学者のまねごとのような雰囲気だけだったと感じています。読んでいたのは華厳経でも菩薩の境地の十の段階を順次説く経典でしたが、菩薩どころか、そのはるか下の境涯である私が辞書的な意味だけで理解していました。碓かに言葉としてはなにをいっているのか理解できます。しかし理解していても本当に理解していたとはいえないのではないかと思っています。『般若心経』というお経もそうでした。これも大学二年のサンスクリット語をならった年に読みましたら、最初の印象はなんて短くて簡単なお経だろうと思ったのです。それまでのインドの梵文は難しすぎて泣きたくなるような日々でしたが、一年間の最後の授業で読んだ『般若心経』は文章構造が非常に簡単だったからです。しかし経文の中にある「色即是空」「空即是色」「不生不滅」「無眼耳鼻舌身意」などのことばは、ことばを置き換えただけで上っ面でしか理解できなかった、いや本当は理解できなかったと思います。その後私はもう十年くらい続けている朝日カルチャーセンター横浜の講座で、三回くらい『般若心経』の講座を開いているのですが、わずかニ六八文字くらいの経なのに、講座で取り上げるたびに私自身の中に新たな深まりを発見するのです。 何年か前に小説家の立松和平さんが駒沢女子大学に来て道元禅師の『正法眼蔵』の講演をされたのですが、立松さん自身が『正法眼蔵』への理解が年代を経るにしたがって、変化し深まっていくことについてこんなエピソードを紹介されました。 あるとき立松和平さんがロンドンの広大な森林公園で行けども行けども森で、道に迷ってしまい、今自分がどこにいるのかわからない。やっと見つけた案内板に、地図があり、そこに赤い印があって「You are here」、おまえはここだと書いてある。そしてまたずっと先へ行くとまた看板があって同じように「You are here」。その赤い印が先ほどより少しずれている。つまり白分がどちらへどれだけ移動しているかがわかる。そのときふと感じるものがあったそうです。我々は人生において自分がどこにいるかわからず、公園の地図のようなものはないけれど、『正法眼蔵』を通じて白分の成長がみえてくる。『正法眼蔵』は白分の人生の地図のようなものであり、古典とはそういうものではないか。そんなことをおっしゃっていました。 『般若心経』や『正法眼蔵』は一文字も変わりません。しかし自分が経の心を受け止めるアンテナが立つと、はじめてその本当の意味が見えてくる、同時に白分の成長が見えてくる、そうものが古典なのだと忠います。 さて改めて『普勧坐禅儀』の表題について戻りますが、最初に「普く」という一文字は、第一に天下に坐禅を示すという意味であると同時に、人の性別や能力などの差にかかわらず、尊い行いであることが意味されています。長い間日本・中国での坐禅修行を経て、仏道を歩むことの厳しさを身にしみて体験なさった道元禅師が、敢えて「普く坐禅の儀を勧める」とおっしゃっています。それは人生の苦しみに対して正面から向き合って歩む人のために、本来の面目(本当の自己)を見出すために一番具体的でいい実践方法であることを宣言することであったと思います。学門として理解する仏教ではなくて、体解する仏法、全人格で受け止めていく仏道がこの『普勧坐禅儀』に開示されているといえるのです。

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