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成寿 第38号 〈春彼岸法話〉
彼岸と供養


駒澤大学名誉教授 佐々木宏幹 先生

平成十九年度の春彼岸法会が三月十九日、午前十一時、午後一一時の二回にわたって善光寺釈迦殿で行われました。
各回とも、まず駒澤大学名誉教授佐々木宏幹先生による法話から始まりました。「彼岸と供養」と題する法話では彼岸の意味を学び、なぜ供養するのか、そして、現代社会の中での意義をお話いただきました。引き続いて、博志住職の導師で厳かに法要が執り行われました。
お集まりいただいた檀信徒の皆様も佐々木先生のお話に導かれ、供養による人と人の結びつきを改めて実感し、手を合わせました。


T.はじめに
  「暑さ寒さも彼岸まで」という諺がありますね。「暑さ寒さも彼岸きり」というのもあります。これは寒処、寒さも暑さも彼岸、春と秋の彼岸頃になるとそれぞれ力が衰えていい季節になるということをたとえな言葉であります。ところが今日は非常に寒いですね。「春は名のみの風の寒さや」という詠もあります。それは「暑さ寒さも彼岸まで」というのとはまた違った意味合いでありまして、いかに日本人が気候や天候に対して敏感に反応するか、それを物語っていると思います。
  お彼岸という仏様を供養する日は、お盆はインドに起源をもちますが、このお彼岸という法要・法会はインド起源ではなく中国でもなくて日本であるというのが明らかになっている事実です。どうして日本で彼岸という儀礼がこんなに盛んになったか。それは彼岸という季節の変わり目、節目に仏様、もっと具体的にいうと死者であるとか御先祖様でありますが、そういう方々と生きている者とが交流する機会だからです。難しい言葉だと「感応道交」など、お坊様方から教わったと思いますが、要するに深い感覚のレベルで見えない世界の存在と見える我々とが交流する、そういう時期だというふうにいわれております。それが日本起源なのですから、仏教以前からそういう御先祖様や死者達と睦み合う、こういう機会がだいたい年に四回あったといわれているわけです。
 一回目はお正月。お正月に年神を祀っておりますが、年神の本体はなんでしょうか。研究者によると年神の本体は御先祖様だということがはっきりしておりまして、皆さんの中には柳田国男という非常に高名な民俗学者を知っている方がおられると思いますが、柳田先生が『先祖の話』という有名な本をお書きになっていて、その中で論じている中に四度くらい、あるいは五回来ることもあるのですが、だいたい四回ぐらい御先祖様がこの世に訪ねてこられる時があった。
  まずお正月にやってくる。これが一年の大きな節目でありますから、去年は良くなかったし健康もうまくいかなかったけれども、今年こそはうまくいきますように、昨年は景気が悪かっ たけれど、今年は景気がよくなりますように、というように、昨年を反省し新しい年に期待や理想を高く掲げる。こういう時期がお正月で、先祖代々の方々がやって来て「お前たち、生きている者よ、がんばれよ」と励ましてくれる。そこでお餅をあげたり雑煮をあげたりお酒をあげたりして交歓してお別れする。それがお正月です。正月とお盆の行事が非常に似ていることに目をつけたのが柳田先生であります。やはり、迎えて送る。迎えるためには、すす掃きをしたりして家を清めます。お盆の時はお坊様が棚経に来るというので、きれいに内をお掃除して待っている。それもよく似ています。
  それから春の彼岸ですね。これは一週間御先祖との交流があります。どうして日本人は春と秋の季節の節目にそういうことやったのでしょうか。これは、お彼岸というのはちょうどひと月遅れでやりますと四月になりますね。今は新暦で数えますが、旧暦ではちょうど農作業が始まる時でありました。近代日本以前は70%以上が農民でありまして、権力者も何万石とか何千石というお米の石高でその力を誇った、そういう時代が長く続きました。そうしますと、お米が穫れないということは日本民族の生命、運命にかかわることでありますから、お米に非常に関心があった。だからお米の一粒一粒に非常に信仰をもったのです。これは稲霊という霊がありますが、稲という字の下に霊を書く。それを稲レイとは読ませないでイナダマと呼んでいるんですね。その稲霊信仰を穀霊信仰とも言います。
  とにかく、稲を、早苗を苗代からもって来てみんなで植える。というのも今では非常に牧歌的な思い出話になりつつありますが、年輩の人だと、田舎でそういうものを見たとか、泥の中へ入って田植えをした懐かしい思い出をお持ちの方も少なくないかと思います。その稲に一番大事なものはなにかというと、お天道様だということです。太陽です。ですからその太陽が上手く照ってくれたときに農民は幸せになるわけです。
  天皇家というのは日本の民族を支配した一番上の責任者でありますが、その神はなにかというと、天皇家の御先祖はお伊勢さんです。お伊勢さんは何が祀られているかというと天照大神です。天を照らす大神と書きます。天を照らす大神というのは太陽ですから、お日様を拝んでおった。なぜお日様かというと、天皇が統治する日本人は、農業で生活を立てておった。だから太陽が重要です。そこでお彼岸というのはちょうど「暑さ寒さも彼岸まで」であり、この日からまた季節のリズムが変わっていくわけですね。中日からだんだん昼が長くなって太陽が動ごける時間が長くなりますね。そういう時期に太陽に
対して今年も豊年満作でありますようにと願った。日に対して願ったから、日に対して願うと書いて「ひがん」と読んだ。ところが仏教が入ってきますとその日にお願いする「日願」に彼の岸と書いて「彼岸」。「日願」と「彼岸」は語呂合わせできちっといくから、お彼岸というのが日本人にとってわかりやすかったという説があります。これは五来重という、非常に有名な仏
教民俗学者の説です。五来さんが日本中をずっ と歩いて調べたのです。

U.「彼岸」と「此岸」
  それではお彼岸というのは仏教的になんであろうかというと、彼岸の反対は「此岸」、この岸なのです。この岸に対して彼の岸なわけです。もうひとつの書き方は彼方と此方という言い方があります。宗教的、仏教的には彼岸と此岸ですが、一般的には此方と彼方。彼方と此方をどう区別したかというと、私どもの日常生活ではドロドロごたごたが続き、欲がお互いに張り合っている闘争のありようをしております。毎日のようにそれが繰り返されていく。だから人生は苦であるとお釈迦様は悟ったというのです。これが此方です。
  苦は歯が痛いとか喉が痛いというのも苦でありますが、仏教はもっと大きい立場から苦を解釈いたしまして、《思いどおりにならない》こと、みなさん人生思い通りに毎日なっていますか? ならないことばっかり多いですね。一生を通しても思い通りにならないことだらけです。がっかりしたとか、もちろん病気も入ります。どっかに癌が見つかったとか、株を買ったら急に下
がったとか、みんな思い通りにならない。それをお釈迦様の透徹した眼差しから見ると、欲の皮が張り過ぎているということになるし、「俺が俺が」が中心だからということになる。
  ところが川を渡って彼岸へいくと、そういう欲がコントロールされて非常に和やいだ、和やかな心をもつような領域があって、そこの中心にお釈迦様という、人生苦を解決しようとしてさんざんご苦労の上悟りの境地を開き、それを思想、考え方としてあまねく広めたお釈迦様がおられる。だからせめてお釈迦さんの心になってみたいと願う時節がこのお彼岸なわけです。日常生活では、そろばん勘定もしなくてはいけないし、嘘は方便などといって嘘もつかなくてはいけない。けれどもせめてお彼岸の間はお釈迦さんやお先祖様というお釈迦様のお弟子さんになったような方々のような境地に至った人を思い描きながら、平安で落ち着いた生活ができますようにという願いをこめるのがこの「彼岸」です。
  道元禅師は「到彼岸」ということを言っておられます。正法眼蔵という主著の中で到彼岸というのは「到る」「彼岸」ですね。これに対して今度は「彼岸到」という、ひっくりかえして「到」を後に書いているんです。彼岸が至る。「彼岸に至る」と「彼岸が至る」どういうことか。一般の人々が修行をして彼岸に至ると思っているけれども、修行しているその場にもうすでに彼岸が現れているんだということです。ここが肝心です。そうすると在家のみなさんがこうしてお忙しいところをお寺に集まって、方丈様方とありがたいお経を一緒に唱和して仏さんに手を合わせる、それが「彼岸到」なのです。お寺という聖なる場所に来て手を合わせて姿勢をただしているということを仏道とみれば、道元禅師のおっしゃる到彼岸ではなくて彼岸到がそこにあらわれているということです。
  これが今日のお話の結論なんですが、なぜそういうことがいえるのかということをこれから申します。彼岸、彼の岸と私どものようなこの岸にいる者。それをこんどは死者のいる仏様がいる「彼岸」と、生者がいる「此岸」というふうに分けてそこから何がみえるかということをまずお話します。現代のように親が子を殺し、子が親を殺し、先生が生徒をいじめる、こういう時代がなぜ出てきたのだろう。今日のように非常に乱痴気で、反面、冷たくて、ゴタゴタしている、そういう杜会を少しでも直していく、 あるいは改革していくためにはどういうことが必要か。それにもうひとつ彼岸と供養ということ。その供養の心と行動が今の教育に対してどういう意味を持つのだろうか、何を役割とするのかに触れて今日のお話を終わりにしたいと思います。
  前置きが長くなりましたので、まず彼岸と彼方とについて説明するために、まず私は黒人霊歌をとりあげてみました。みなさんも歌が得意な人はどこか、多分、中学校あたりで学んでいると思いますが、「若き日はや夢とすぎ」で始まる歌。人生まだ若いぞ若いぞと思っていたらいつの間にか年をとっていた。なにもみなさんだけではありません。そういう法則性にのらない人類はどこにもいなかった。だから「若き日はや夢とすぎ、友らはみなこの世を去りて、彼方のよき地に眠り、かすかに我を呼ぶ、オールドブラックジョー」。これは黒人ですから「ブラック」です。アメリカは黒人の力を借りて白人達が立派な杜会をつくったのですが、黒人の人たちは綿花をどんどん栽培しました。元来アメリカ人が作っていたのですが、人手が足りず、アフリカから多くの人々を拉致した。何十万何百万人という人々を奴隷船の舟底にいれて、ミシシッピー川のところまで連れて来たのです。どうしてそういうことをキリスト教国の人々であるアメリカ人が行ったのかというのは、研究すればするほど不思議な話なのですが、人間というものは罪大きいものなのですね。だから人様のことはあまり言えないわけですが、とにかくアメリカの近代史というものは、まだ若い国ですから、あの中にはそうした悲劇があったということを心の奥底に秘めておきましょう。親と別れ、子と別れて連れて来られた人たちが労働させられて、そこから悲しみの歌として黒人たちが歌ったのがこの歌でありました。これはアフリカでも同じようでありますが、「亡くなった人はどこ行くの?」「近くではなくて遠くにだんだん行く。遠くに行ってこの世の人たちに働きかけてくれているんだ」。それが彼方の良き地に眠り、ということになります。これはグーグーいびきをかいて眠っているのではなくて、そこに安らいでいるぐらいに意味をとったらいいです。この歌の肝心なことは、若い日はどんどん過ぎていくということです。そして必ず死にます。死んで終わりかというと、死んでそこで終わりという民族は地球上にはいないのです。死んでも必ずどこかにいる。仏教だったら仏国土、あるいは彼岸、お浄土にいる。これらの言葉はみなさんも知っていると思いますが、そういうあの世の存在についての感覚はどんな民族ももっています。ただそれを哲学的に非常に高度に深めたものと、非常に単純に感じているところとあって、黒人の人たちは読んで字の ごとくで、もう解説するまでもないと思います。
  要するに人はみなこの世を去って彼方の「よき地」というのは彼岸です。彼岸は仏教流にいうとお釈迦様がおられるところです。そこで「眠り」ということは、安らいだ状態になっていることです。そしてこの世の人たちに語りかける。自分を呼んでくれているんですから起きている。「良き地に眠りかすかに我を呼ぶ」。心をすましてお墓の前、仏壇の前、仏さんの前で静かに目を半分ぐらい閉じて思いを込めますと、みなさんも亡き人がそこに現れてくる。あるいは心の中に御先祖の姿が浮かぶ。これが「かすかに我を呼ぶ」ということです。亡き人は生きている人たちがうまくいくようにあの世から願っている。それを感じていてくれる。それがもっとも密度が高く、感じられる時がこの彼岸とお盆だということになります。
  お彼岸はお盆と並んで死者あるいはあの世との交流が盛んになる時であるという例について話します。新潟県の北魚沼郡はお彼岸でもまだ雪の中です。ここではお彼岸の入りの日に、スコップ、シャベルなんかを持ってお墓に行って、1メートル、今は雪が少なくなっているようですが、雪をはらってお墓を綺麗にします。そこに子どもたちが行って藁に火をつけて「ジジゴタチー、ババゴタチーこのあかしについてござれーござれー」と言いながら家につれて来る。つまり、おじいちゃん、おばあちゃんこの灯について家に来てと。家へ来るとぼた餅であるとかお供え物があってそこで供養をしてあげる、ということになります。

V.供養とは
  彼岸と供養でありますが、既にだいじな結論ですよと申しました通り、到彼岸です。仏教はどういう教えかというと、彼岸に至る教えです。一般的にわかりやすく言うとそうなんですね。到彼岸というのは、彼岸には仏様がおられる、お釈迦様がおられる。だからそこに到ること、これが「成仏」、仏になるということですが、その教えが仏教です。彼岸は「此岸」に対する語で、迷いの世界というのが「此岸」なのです。
  それに対してお釈迦さんの世界は「悟りの世界」、あるいは世の中の真理に目覚め、宇宙と人間の真実に目覚めた人たちの世界です。お悟りになった方、つまり「仏さま」はどういう方か。現代風の言葉でいうと「思いやりの心」を無限にもった方といえるでしょう。これを仏教語で言うと「慈悲」ということになります。慈しみと悲しみを書きますね。「慈悲」よりも「思いやり」といったほうがかるいかもしれませんが、わかやすいと思います。
  それに対して「此岸」では、思いやりではなくて「俺が」「俺が」「俺さえよけれぱいい」という世界です。
  「彼岸」はそうではない。自分も大事だげれども、他人の悩みや苦しみを自分が味わっているのと同じ程度に味わって対応する。そうなると「彼岸」の心に転じていくわけです。「到彼岸」というのは、そのように考えていきますと、「思いやり」は他人のために何か善いことをしてやろうとの願いの心です。今日はみなさんがここに来られて、亡き多くの人々のためにご供養してあげるのですから、「到彼岸」の行をなさっていると、こういうことになります。次に「彼岸」は春分、秋分の日を中心に行われるわけはどういうことかは、すでに述べましたから述べません。「日願」と「彼岸」について五来重という学者がそういうことを言っています。このことをお家に帰ってもう一度反芻してみてください。
  死者を歓待する、供養するとは、心から歓待するということでありますが、死者を歓待するということは仏教が入ってきて「供養する」ということが広まったからです。どうしてでしょう。仏教以前から死者を拝むという習慣を日本人はもっておりましたが、仏教がやってくると、仏教のお坊さんを通して死者や御先祖を拝むようになりました。どうしてかというと仏教あるいは仏教の教えを奉じて修行をしているお坊さん達の持つ力が、それまでの人々の力よりも大きいということを日本人がわかってきて、お坊さんに頼めぱ必ず死者は浮かぶものだ、つまりこの世に不平不満があって亡くなった人も、お経の力やお坊さんの行の力によって平安なる心、お釈迦さんと同じような心、あるいはその境地に辿り着くための心に変わっていくのだ、ということが日本人のみなさんや檀信徒の人々に受け入れられたからこそ、今日本は世界有数の仏教国になったわけです。この力を学間上は「仏力」とか「行力」とか申します。行力の前に修行の「修」を書いて「修行力」といってもいいんです。力と威力の「威」を書いて「神」を書いて「威神力」という語もあります。威神力を持つお坊さんはお釈迦さまと同じに見られたのです。
  先頃亡くなったある有名な俳人の句に「春の鳶よりわかれてはたかみつつ」というのがあります。春のこのころになりますと鳶がグルグルグルグル弧を描きながら下から上に昇っていく。そのときに「ピーヒョロロ、ピーヒョロロ」と啼くのです。鷲に似た鳶ですから猛禽類のひとつですが、こう下を見てエサをさがしているのですね。それがピーヒョロロと近寄ってきてはだんだん遠くに弧を描いて飛んでいきます。そしてまた近づいてくる。こうしながらだんだんだんだん天空高く行ってついに見えなくなってしまいます。あれは非常に詩的な風景というのか、日本の田園地帯の典型的な図柄だと思っておりますが、こういう鳶、これが御先祖をこの世の人が祀るというのと同じなんです。今日お彼岸ですからいつでも仏壇で拝んでいるかもしれないけれど、特別の日には仏さんの方が近づいてくる。近づいてきながら一週間経つと遠ざかって行く。またお盆に近づいてくる。秋も彼岸に近づいてくる。これを供養し歓待するわけです。そうするとだんだん高く高くにいって、やがて仏さんの彼岸に行きっきりになってしまう。それを仏教では涅槃などといいます。涅槃というのは、我々の悪しき欲望が全部コントロールされてお釈迦様・仏さんと同じような心になったのが涅槃でありますが、こう近づいてきてまた離れ離れてやがて天空遥かに行く。あるいは風に乗って行くのです。
  死者は生者と交流しながら御先祖になり、仏 の境地に至るのだと、これはご供養によって高まっていくのです。
  それでは供養とはどういう意味かについて述べましょう。「供養」は懇ろにもてなすこと、「歓待」とも言いますが懇ろにもてなすことであり、この行為の基盤には相手への思いやりの念、あるいは思いやりの想いがある。思いやりの想いがあるからこそ、みなさんは今日善光寺さんにお集まりになったわけですね。日本人は他の民族と比べますと、ことさらに供養、懇ろにもてなすという行動をより多く積極的にとる民族だというふうに考えられます。なぜかというと、器物動物供養、器物というものは、物でもって物を作るんですね。茶碗でもいいし、お人形でもいいし、針でもいいしなんでもいいのですが、これと動物を懇ろにもてなすという民族が日本人であったわけです。例えばお母さん、おばあちゃんがずっと使っていた針をご供養する。針を祀るような民族はそうないじゃありませんか。それからお人形を使い古して、これはひいおばあちゃんからもらったんだけども、顔がだんだん黒ずんできたので新しい人形に替えましょうという時、ゴミ袋に入れて捨てるということになると、もう日本人ではないですね。小さな人形。私は人形作りの人で、人間国宝ぐらいになった人ですが、この人から実際聞いたことがあるんです。「あの蜷人形を、心を込めて作ってここへ置きますと、夜中にヒソヒソヒソヒソ話をしている。だから心を込めたお人形は私の魂が入っているので生き物ですよ」と、その有名な人形師が私に言ったことがあります。なるほどなと思いました。これを知っておったのが日本人ですからポイ捨てはできない。だから仏閣や神社にお人形を納めて人形供養を、お経をあげたり祝詞をあげたりして供養しているのです。それから仏壇供養、仏壇が古くなったから買い替えようという時にゴミに捨てようという人はまずいない。ずーっとゴミを注意しているのですが仏壇は見たことがないんです。やはり仏壇もお寺さんに納める。そしてそこで火葬にしてもらうのですから人間と同じように扱うわけです。下関に行くとフグを採っていますから、フグのお陰だというので、供養をします。うなぎの供養もします。シロアリは今や家を食べてしまうということで嫌われていますが、シロアリに毒性のフマキロンを撒いて、殺すでしょ。そうするとその人々がシロアリに対して申し訳ないというのでお経をあげる。なんと柱が腐るからといって、シュッシュッやるでしょう。あとで供養をする。こういう杜会というのは、かつて日本にあったし、今でもあるんですね。
  それから動物供養の中に活魚、生きた魚を扱うところ、お寿司屋さんやなんかでは塚をつくって霊を慰めた。蜜蜂の場合は蜂塚がある。鯨を殺す商売の場合は鯨の霊塔を作って供養をする。大きな鯨、あれは、赤ちゃんは卵じゃないのです。我々と同じように哺乳類ですから人間並みに子どもを可愛がりますね。我々はこの世で生きて行くためには鯨を殺したり、シロアリを殺したりいろんなものを殺さざるを得ない。しかしそのお陰で自分が命長らえているのだから、年に何回かは供養してあげよう。この懇ろなる思いやりの心が日本人にはあった。
  これを増長させたのが何だろうというと、私は仏教という宗教の慈悲の精神だと思います。自分を愛おう(いとおう)ものは他人をも愛おい、他人と同じように自分を愛おいなさい、と教えたのはお釈迦様でありましたから、愛おしいのは自分だけではないんだ。相手も自分と同じように愛おしい存在だと。この思想が日本人にこういうことをやらせた。それ以前からあったかもしれませんが仏教がこれを強めたということが言えますね。人間のために命が捧げられたものは人間と同じように供養した。これがすばらしい。
  ところが今日の杜会ではどうでしょうか。「儲かればいいんだろう」。このごろはいろんなレーダーを使って魚が何処にいるかを確認すると、即座に一網打尽してしまうのですね。それで有り余ったものは肥料やなんかにしているのですが、そのためにニシンをはじめとして絶滅寸前だなどという魚類はたくさんいるわけでしょう? 何とかならないかと環境省あたりが今言い出していますよね。要するに人間というのは知恵がありますから、それに任せていろんな道具をつくってこれまでやってきた。その間に「ほどほどに」というところが日本人にはあったのですが、どうもここ数十年の間に「ほどほどにしておこう」ではなくて、徹底的にという気分が我々の心を占めてきたのではないでしょうか。そういう一網打尽的なあり方が今の学校で生徒が生徒を殺すとか、親が子どもを二人も殺すとか、今度は子どもが親を殺して火を放つとか、こういう殺伐とした杜会を作る原因の一つになっているのではないか。

W.現代社会と「いのち」の感覚
  命への感覚が薄れた現代だと私は思います。
  「いのち」というのは目に見えないのです。「生命」というのは目に見える。生命というのは漢字で書く生命です。これは脈拍をとったり自分の呼吸を測ったりすると「俺が生きているな」と自覚する生命です。ところが「いのち」の方は「今私が生きているが佐々木のいのちが見えるか」と言われてもみなさん見えないですね、私の「いのち」は。此処にいて背広を着た男が今話をしている、ということですから、生命現象としての佐々木が見えても「いのち」は見えないはずです。
  ところがその「いのち」というところに目がいかないで、医学的・物理的佐々木だけを見ていると、憎らしいなんていうことになるとピストルだとか刀で刺し殺したりということになる。ところが「いのち」という見えないものへの畏れがあると「人を殺してはいけない」ということになりますね。その「いのち」というのはいったいなんであろうかということであります。
  今の教育界は、文化省をはじめとしていろんな人たちがどうやって非行児を無くそうか、どうやってイジメを無くそうかということで、法規を変えよう、法律を変えようとして一生懸命国会で論戦をやっておりますね。NHKでも先だって二時間半の番組を見たのですが、その中では「いのち」の深みだとか「いのち」への畏れなどということを言っている文化人はだれもいませんでした。教育委員会の仕組みが悪い、文化省と地方の校長先生との間の流通が上手くいってない。どこの制度をこういうふうにしたら上手くいくだろう。私はもういくら制度をいじっても最後は心の問題が人間の行動を左右すると見ますので、ああいう議論ではなかなか問題解決にならないなと考えます。
  ではその「いのち」の深みへ眼差しを注ぐとはどういうことであろうかというと、そこに見 える世界と見えない世界という問題があると思います。「見える世界」と「見えない世界」とは一つだよと仏教では教えておりますが一般の人々にはこれを分けて話した方が解りいいと思います。はっきりいうと「見える世界」というのは私がここで今おしゃべりをし、みなさんが善光
寺さんに来てこれから法要に参加する。こういう人たちが「見える世界」です。だれが私をここに立たせたかどいうと、もういませんが「見えない世界」に行った私の両親が私という「見える世界」をここに存在させている。同じようにみなさんも二百、三百の方々がもうあの世に行って仏さんのところにいる「見えない存在」によって今ここにこうしておられる。こういうふうに説明したらわかると思います。ようするにこのように理屈をこねますと「見える世界」は「見えない世界」によって育まれ支えられている、こういうことになります。だからもっと我々は「見えない世界」に対する眼を開いていなげればいけない。この世界を奪い過ぎると、子どもたちは大変なことになるということはもう実証済みでありますね。
  そこでもう一度、「見える世界」は「見えない世界」に支えられているという認識や特に感性について話します。認識ということになると、理屈で「あの先生の話はつじつまがあっていない」とかなんとかいうことで、知の領域だけでみなさん判断する。感性や感情は、理屈はどうかわかんないけど、ジーンときたぞとか、あるいはブルブルっときたとか、皮膚に何かが働いたとかいう感覚、これが宗教には大事なのです。教育でもそこが大事なんです。だから子どもにはあまり説教するよりはむしろ「ご飯を食べるとき手を合わせて食べましょう」だけでもよろしいと思います。それは見えないものに対する畏れの感覚を知らず知らずのうちに養っている ということです。
  そこでその見えないものはどう感覚したらいいかということをお話します。サラスワテイ川についてです。「サラスワテイ」というのは実際には無い川だけれどもあるのです。無い川だけれどもあるというのは逆説でありまして、信仰上の川であり精神世界の中にある川です。インド人の精神の中にはサラスワテイ川がちゃんと流れている。それをインド人でない我々が見ようとすると見えない。こういうことです。
  インドの地図を想像してください。逆三角形で下にはスリランカという島が右側にありますね。その逆三角形の上の方、底辺の方の西の方、左側の方にニューデリーという首府があります。そのニューデリーのあたりウッタール・プラデシュ州といいますが、そのあたりにアラハバードという都市があります。そのアラハバードはインド10億の民が一生に一度その川に行って湯浴みをしたい、沐浴したいと願う憧れの地なのです。どうしてか。ガンジス川というインドの農業を支えている川とヤムナー川という二つの川が合流してガンジスになる。二つとも永遠の大山脈ヒマラヤの雪が溶けて地下水となって流れてくる。だからヒマラヤのあの清浄なる八千メートル級の山々もインド人にとっては「見えない世界」ですが、その清浄の姿をとって現れた、神々として拝んでいる。ガンジス川もヤムナー川もそういう山々の雪が解けた水が流れていますから「聖なる川」なんですね。その聖なる川は見れば見えるのです。二本の大きな川が来て合流するのです。
  ところがそこにもう一本インド人は「サラスワテイという川がながれている」と信じています。そこでそこに日本人やアメリカ人がツアーで行くでしょう。そうするとそこで十人ぐらいを舟に乗せてインド人がギーコラギーコラ漕ぎ、そこの川の辺りを回って説明をするわけです。「ガンジス川が右の方、左の方からヤムナー川ですが、もう一つ信仰上のサラスワテイという川が流れているんです。サラスワテイという川があるからこそ、ガンジスもヤムナーも聖なる川なんです」と言ったら、アメリカ人の旅行客が「船頭さん嘘をっくなよ。川が右、左で二本だけだろ。サラスワテイなんてどこにも見えないよ」。これに対してインド人の船頭がこう言いました。「あなたには風がみえるかい? 風は吹いているんだけれども、風というのは目に見えない。ちょうど我々が心を見ようとして心臓は見えても心はみえない。同じように見えなくても現に我々の肌にそよ風、冷たい風となって外から影響しているじゃないか。サラスワテイ川は私たちの心の中に流れている。つまり信仰上の川なんだ。私はそのサラスワテイという見えない川の存在を全身で、体中で感じています」と。いかにもサラスワテイを信じているインド人船頭ならではの言葉ではありませんか。
  さて、サラスワテイは日本ではベンサイテンと訳します。雄弁の「弁」と才能の「才」、天は天体の「天」、神様です。弁才天というのは江の島が非常に有名ですね。それから竹生島弁才天、厳島弁才天。この三つを三大弁才天といって有名なのです。「遠く霞むは彦根城波に暮れゆく竹生島」と竹生島というのが琵琶湖にありますね。それから厳島の平家納経で有名な弁才天がある。御神体は裸体の美女です。ふくよかな姿で琵琶をかき抱いている。なかなか実像を拝むことができないんですが、いつか江の島のものが細工をするときに写真がでたことがあります。これは川の神であり、水の神なんです。その神が後になると学問の神、音楽の神、芸術の神になります。そうするとあらゆるものの根源が、水であるということなのですね。さきに太陽を 拝まないと五穀がとれないから日願といって、お日様に願いをかけたと言いました。太陽の他にもうひとつ農耕の条件は水が無いとダメなのです。砂漠を見てください。何も生えていない。そこで水と太陽が神であるわけです。この弁才天は水と川の神であり、日本でも水の神としても拝まれ、さらに芸術・学問の神としても拝まれているのです。

X.見えないものへの眼差しを
  ここでインド人は見えない物を「風」に例えている。横浜港にボートかなんかでいきますと、女性の髪をなびかせるような風がくる。見えませんよ、風は。風は何かの現象の結果から反甥してはじめて解る。同じようなものが死者でありまして、昔の人は「丑三つ時に死者は風のようにあらわれた」という。丑三つ時というのは朝でもない、夜でもない、その境目ですね。「境目の時に仏はほのかな姿をあらわしたもう」という歌が古い文献に出てくるのです。だから丑三つ時には幽霊や仏様が出てくる。確かに声を聞かせるのです。だから「幽」というのは「かすか」とも読ませますよね。そんなことで風というのは日本だけでも中国だけでもない地球全体の呼吸みたいなものです。それが風です。地球の呼吸みたいなもの。それと太陽無くして人間の文明は無いんですね。
  最後に現代杜会の教育界が今困っているという話ですが、偉い教育学者がいくらいろんなことを言ってもどうしようもないわけで、家庭においても小さい時からできれば仏教行事へ子どもたちを参加させたらどうだろう。こういうところに二歳か三歳の子どもを連れてくる。こういうところに来ますとね、雰囲気が全然違う。なぜ雰囲気が家庭と違うか、ここは「彼岸」をあらわしているから違うわけです。ご家庭の中は「此岸」でありますから、そこから「彼岸」に連れ込むと、子どもたちは最初驚くかもしれませんが、ここで行われている法要は一生彼・彼女の心の奥底に刻印されて消えないはずです。
  それが「見えない存在」に対して眼を開かせる大きな方法というか方便になるのです。ということをここで強調したいと思うのです。「いのち」への畏れの感性は宗教儀礼への参加によって培われます。子どもたちに亡き人、仏さんに花をお供えし手を合わせる習俗を、こういういい習慣を伝えようじゃないかというのがここでのミソであります。私どもは「元気だ、元気だ」といってもやがて必ず元気な人も年老いてあの世にいきます。私のように七十を過ぎますと、死亡記事が非常に気になるんですね。大学でお世話になっていた同僚だとか先輩が亡くなる、七十何歳。「私はまだ助かっているんだなあ」と思うのでありますが、そこでの思いが複雑でありまして先に逝った人、気の毒だなあと思うのと同時に私はまだ大丈夫だなあとへんな自信にもなっている。それは危険ですよね。そこで良寛和尚はなんて言ったかというと、今のような私のあさましいというか、みんな友達はあの世に行ったけど俺は残ってるぞというようなことへの警告として良寛さんは詠を残しました。この人は曹洞宗のお坊さんです。何と詠ったか。
  「散る桜残る桜も散る桜」。桜はハラハラハラと散っていく。あの潔さを日本人は好きなんですね。いつまでもしがみついてボタッと落ちるよりも、風が来ると風に逆らわないでパァーツと散っていく、あの潔いいなせな姿に日本人というのは桜に狂いますよね。ところがその中でも最後まで残るものがあるのです、風が吹いても散らない。「三日見ぬ間の桜かな」また「夜半に嵐の吹かぬものかは」。明日かあさって見れるよといっていたら、夜半に嵐が吹いて散る。あの桜前線のころ嵐が来るんですよ。これがまた日本人好みです。いいなあと思ったところに不幸や望ましくないことがやってくるという状況を日本人は芸術的・宗教的につかまえました。
  この「散る桜残る桜も散る桜」。先に散った方々を残る桜、残る人間が供養してあげなくてはいけないし、逝った人々を残ったものが供養していく。この供養供養の連続で人類は存続していく。この後のご法要でみなさん「彼岸」を充分に感じとっていただきたいということを申し上げて私のお話を終ります。ありがとうございます。

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