成寿一覧表

成寿 第38号 〈特集A〉
北陸参拝旅行
大乗寺・永光寺を訪ねて

昨年六月、博志住職が師父の足跡をたどるために訪れた北陸路に、今年五月善光寺旅行会・婦人会の一行六十二名が訪れました。曹洞宗の歴史の深淵に触れようとする人、亡くなった母君の遺影と共に心の寂奥を癒そうと参加した人、自らの修行の地に赴き、その気持ちを確かなものにしようとする人…。歴史のなかに息づいていた二つの名刹はそれぞれの人々の思いを温かく迎えいれていました。


北陸の古刹涌大乗寺と永光寺参拝の旅

善光寺旅行会団長 熊谷 豊太郎

  平成十九年五月九日と十日の二日間に亘り、善光寺旅行会及び嫌人会の主催で行われました。女性は伊藤婦人会会長、中村副会長並びに黒田倫子先代住職夫人以下三十三名、男性は黒田博志住職以下二十九名、合計六十二名の内訳で、寺院参拝の人数としては、多い団体との話も訪間先でいただきました。
  幸い天候に恵まれ、羽田空港より小松空港に飛び、バスニ台に分乗して金沢市の兼六園を観光、昼食後、曹洞宗大本山永平寺に次ぐ古刹で、宏大な地域に古木と新緑に包まれて建つ、曹洞宗第三代徹通義介禅師が開山創建された、東秀山大乗寺を訪れました。
  歴史を刻む蒼色重厚な山内に迎えられ、入口の左右には二対の「阿、吽」の仁王像が安置され、山門をくぐると正面に在る仏殿をはじめ、七堂伽藍をそなえる壮大な寺院であります。ご本尊釈迦牟尼仏を奉安している荘厳に満ちた仏殿、私達は粛々と静寂のこもる広々とした法堂に通され、黒田住職が導師を勤める法要に安息合掌して、しばし心の洗われる思いでした。
  当寺山主東鱆チ住職さまには、一同の訪問を大層喜んでいただき、温かい歓迎のご挨拶を頂戴し、黒田住職、倫子先代夫人等と懇談、更に寺内案内等懇切な気配りを賜り、厚く感謝を申し上げて当寺を辞しました。
  東住職さまは、先代大圓武志大和尚さまとは大学も同期で、日頃より親交を重ねていた格別の仲、駒沢女子大学学長より大乗寺の住職として入山された際も大変喜んでおり、先代が遷化された際も、最先に駆けつけていただいた親友です。
  私達は名刹大乗寺に参拝した感激と満足感のうちに、当日の宿泊地和倉温泉に到着、一同は名湯につかり、早朝からの疲れを癒やし、夕食を囲みながら、お互いの懇親を深めて、第一日目を終りました。
  翌日、一同清々しい気持で、能登羽咋市に在る、洞谷山永光寺を訪ねました。
  永光寺は曹洞宗第四代の瑩山禅師の開山により創建されました。瑩山禅師は大乗寺の二代目の住職を務めた後に、永光寺の初代住職として、立派に開建を果たされ、その後鶴見の大本山総持寺を開山創建されて布教に尽力、永平寺と並ぶ大本山として権威ある寺門に位置づけました。しかし晩年は永光寺に戻り、この寺院にて遷化されたとのことでした。
  永光寺の創建当時は緑豊かな洞谷山を背に、五院二十数坊を擁する立派な寺院でありましたが、永い歴史の盛衰を繰り返し現在は再建の途上にあります。現在の白木造りの堂々たる山門、法堂、廻廊、坐禅の僧堂、総てが約七〇〇年の歴史をもつ幽玄な雰囲気を感じさせます。寺院の背後の山上には清浄な霊気に包まれた「五老峯」の墳墓があります。五老峯とは曹洞宗の五祖の各遺品が埋納されているそうです。
  一行は幽遠な環境に包まれた古刹を辞し、名陶九谷焼に向かい優美な芸術品を見学、同所にて昼食休憩後、現在米国ヤンキースの松井秀喜選手の野球展示館を見学して、折しも小雨がちらつく小松空港に到着、参加者一同は、無事故と恵まれた天候に、それぞれ充実した感慨を胸に羽田空港へと向かいました。


脈脈とした歴史を歩く

善光寺婦人会副会長 中村 茂子

  ゴーン、ゴーン、日が傾く夕暮、どこからともなく、点在するお寺からの鐘の音が響きます。金沢市内からほど近い卯辰山に、両親が住んでおりました。父はその地で亡くなり、分骨させて頂いています。
  折りおりに、里に帰ることがありましたが、子育ての真最中で、お寺を参拝して廻ることが余りありませんでした。
  善光寺様と深く御縁のおありの東隆眞様が、曹洞宗の最も山緒ある大乗寺の山主様(御住職様)になられ、今度、善光寺様の皆様と御一緒に、参拝させていただく機会をいただきました。
  深い木々の間に点在する伽藍は、古い歴史の重みを感じさせ、荘厳な気持ちになりました。長い歴史の中で、何回かの災難にあわれたそうですが、その都度、心ある方々によって支えられ、今日を迎えられた様です。
  曹洞宗の開祖様である、遭元禅師様、お弟子の懐装禅師様の伝燈を受けつがれた義介禅師様が、大乗寺を開かれ、以後、脈々とその教えを守り、育ててこられた方々によって、すばらしい曹洞宗が現存していることを痛感させられました。
  今回の旅行は、曹洞宗の成り立ちを勉強させていただくと共に、善光寺様の輝かしい祖先を知ることができ、大変感銘しております。
  檀家の一員として、多少なりとも曹洞宗のお教えを身に付け、これからの日々を過ごさせていただきたいと思っております。


父と私、遣悼の旅

堀 貴子

  妻を亡くした父、母を亡くした私。母が他界し四年の年月があっと言う間に過ぎたものの未だ心の傷が癒されないでいる父と私。母の他界後、善光寺様とお付き合いさせていただき、大変なご縁を感じております。特に父にとりまして、善光寺様は何より心の支えになっている様です。
  善光寺様北陸参拝の旅が紹介されると、一緒に行こうとすぐ話がまとまり、旅に参加する事になりました。お寺様との旅は一体どの様な旅になるのかしら? 興昧津々でした。
  集合場所は羽田空港時計柱八番前。私の鞄の中には大好きな母の写真が入っています。少し緊張し集合場所へと向かいました。到着すると物凄い人数の檀家様で集合場所があふれていました。これも善光寺様の人気の証拠だと感じました。
  飛行機に乗り込み、あっと言う間に小松空港に着きました。金沢市内を見学し、大乗寺様へ。五月初旬、新緑に囲まれた大乗寺様は、決して派手ではないのに雄大で威厳と品格を感じるお寺でした。修行をする僧堂をご案内下さいましたが、畳一枚分も無いと思われる空間が修行と寝食する場所であるとのご説明でした。自宅で自由に生活し、自分の部屋がある私の賛沢さをその時ばかりは恥ずかしく思いました。
  お寺で身も心も洗われた後、楽しみにしていた和倉温泉へ。美味しい食事と海を見下ろしながら入る露天風呂。あー来て良かった。部屋割は檀家様と五人部屋でした。温泉に浸かりながら、又枕を並べて同室の檀家様達と夜遅くまでたくさんおしゃべりをしました。それぞれ色々な人生を経験しておられ、たくましく強く生きていらっしゃる事を知りました。現在もその時お知り合いになりました檀家様とお近付きいただいております。
  二日目は永光寺様へ参拝しました。大自然の広大な敷地に、歴史と迫力さえ感じるお寺でした。長い階段を上りながら唱えるお経。私はこの旅二日目にして、立派な檀家になった様に錯覚してしまうほどでした。
  永光寺様を後にしバスはお土産屋さんへ走りました。甘いお菓子と能登産の海産物を持ちきれないほど求め、羽田空港へ帰ってきました。
  善光寺様檀家初心者の私は、何もわからず何の知識も無いまま、この旅に参加させていただきましたが、この様な機会をお与え下さいました善光寺様へ心から感謝申し上げると共に、常に私達親子に温かいまなざしを注いで下さいました皆々様にお礼を申し上げます。
  有雑うございました。そして、次の旅も期待し、お待ち申し上げております。


曹洞宗の源流を訪ねて

豊島 節夫

  五月善光寺北陸参拝一泊二日の旅に参加しました。
  九日早朝、羽田空港集合場所には参加する皆さんの笑顔がとても明るいものでした。
  小松空港からバスニ台に分乗して、安宅の関所跡を見物し兼六園に移動です。兼六園では、東郷先生が大阪から直行して中華式に熱烈歓迎してくれ謝謝でした。昼食にはアルコールも抜き、真面目に大乗寺を目指しました。
  有形文化財の重厚な山門から、仏殿、法堂に案内いただき、東住職より大乗寺の歴史と現在の状況を懇切丁寧に教えていただき、合掌を繰り返すばかりでした。
  開山した徹通義介禅師の七〇〇回遠忌を迎える準備も大変なことだろうと推測しながら、和倉温泉の宿泊先へと進みました。
  夜は、楽しく皆さん、温泉・新鮮な魚料理、そして地酒に私は大満足でした。
  一夜明けた和倉の棚は曇天でしたが、目指す永光寺迄はバスで小一時間で到着。
  永光寺は七〇〇年前に曹洞宗太祖瑩山禅師が創建されたようですが、説明する屋敷老師の話に感激し寄進をされた人も沢山いました。
  裏山に登り曹洞宗・源流の五老の遺品を埋納された五老峯に手を合わせました。
  参拝し善男善女になったのに、帰りのバスでは雷雨に見舞われましたが無事帰浜。
  今回参加して感じたことは、盛り沢山の場所に移動時間をかけて動くより、時間をたっぷりとった講話のある今回のような旅は、私個人としては非常に勉強にもなり有雑いもので、自然に手を含わせ頭を垂れるものでした。(合掌)


修行僧堂 ― 東香山大乗寺

戸澤 洋太

  この度、私は、博志仕職のもと、得度式をし、僧侶となった。大乗寺へは来春上山し、私が本格的に修行にとりくむ寺である。
  大乗寺は、二一八九年(鎌倉時代後半)永平寺の第三世・徹通義介禅師が開山された。永平寺、総持寺とならび長い歴史がある。現在の住職は前駒澤女子大学長で、善光寺にもたびたび講演にいらした東隆眞老師である。
  二十六世中興月舟宗胡禅師、二十七世復古卍山道白禅師は、道元禅師の古風を尊重し清規をととのえ、「規矩大乗」の名を天下に知らしめ、禅のきびしい修行道場として世にその名を高められた。
  住職から、この寺を修行先に勧められたのは、私にとって厳しい修行ができる寺だという理由に違いないと思っている。
  僧堂は中心に土間があり回廊に囲まれた五十畳ほどで、修行僧十余名がここで坐禅、寝食すべてを済ませている。食事も修行僧がつくる。開祖道元禅師は食事をつくることも修行のひとつとして重視されている。修行僧、雲水の日常生活は一人たたみ一畳での簡素極まるものである。
  修行を始めた以上は、一生続けるのが本義である。坐禅中は考えてはいけないということはない。修行を重ねれぱ余計なことを考えなくなるのだろう。我慢も感じなくなるのだろう。
  私は高校時代、五木寛之の「生きるヒント」を読んでから仏教に関心をもち、自分の生き方について仏教からヒントを得たいと思った。駒澤大学の仏教学科へ進学し禅を学び、建学の理念である「行学一如」、修行と修学は一体であるという禅の思想に興味をもった。その後、善光寺の坐禅会で住職と出会い、現在は僧堂修行に行く前の指導を受けている。
  僧堂の修行生活では覚えることも多く、要領が悪く行動が遅い私にとっては不安である。睡眠時間も少なく食事も質、量ともに今の生活とは異なり、日常の細々とした作法も限りなくあるらしい。


  東老師は、大乗寺は曹洞宗にとって尊い存在、普く人々に広く開かれた寺院であり、単に、観光寺院にはしたくない。「仏法を通して、人心の救済と世のためになる人を育てる」を理念に掲げ、伝統を継承し、発展、興隆させたいと、力強いお説話をいただいた。感動と熱いひとときを過ごし、やがて、ご老師にお見送り賜る。寺をあとにした時のすがすがしさは忘れることができない。

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