成寿一覧表

成寿 第38号 〈特集@〉
育英会再開に向けて


博志住職タイへ

大圓大和尚の遷化とともに活動を停止していた横浜善光寺留学僧育英会ですが、これまで大きなエネルギーを注ぎ込まれてきた師父の遺志を絶ってはならないとの博志住職の考えから、来年から留学僧の募集を再開することになりました。
そして、その志を伝えに博志住職ら一行四人は、育英会にゆかりの深いタイ・バンコクのワット・パクナムを訪れ、住職ロンボー・ソムデット師に留学僧受け入れのお願いをいたしました。

ワット・パクナム訪問の記

横浜善光寺留学僧育英会参与(第14回育英生) 真野大成師 

  今年の四月二十四日、博志方丈、小田原成願寺の山口老師、善光寺総代の東郷氏そして筆者の四人は、タイのバンコクにあるワット・パクナム(パクナム寺)にご住職のロンポー・ソムデットを表敬訪間しました。ワット・パクナムは、善光寺先住の大圓大和尚が若い頃一年ほど安居・修行をし、その後、育英会を始められてからは、その主要な派遣先の一つとして長いお付き合いのあるタイ上座部仏教のお寺です。大圓大和尚も、お元気な頃は毎年のようにバンコクを訪れ、旧知の僧侶方との親交を温めてこられました。そこで、大圓大和尚の三回忌が過ぎたのを期に、博志方丈の新住職就任のご挨拶と、あわせて育英会留学僧の受け入れ継続のお願いのために伺ったものです。
  当日、ご住職はお忙しいお体にもかからわず、私たちをお寺で迎えてくださいました。ところで、ロンポー・ソムデットというのは老師猊下という意昧の呼び名で、タイの王室からソムデットの敬称を持つ尊称を贈られたことから、そう呼ばれるようになったものです。ご住職は、タイ僧伽の最高意志決定機関である長老会議のメンバーでもあり、八十歳を超えるご高齢ながら、日ごろほとんど休むまもなく各地を飛び回り、僧伽を指導しておられます。
  お寺に伺ったとき、ご住職はちょうど法堂で、布薩日のお籠もりのために集まった信者に、お説法をしておられるところでした。程なくして座所に戻ってこられたご住職は、博志方丈を見るなり、
「ヒロシか」
と、声をかけられ、席に着くとご挨拶もそこそこに昔の思い出を話し出されました。博志方丈は子供の頃、ご住職から、ご兄弟と一緒に沙弥得度を受けています。また、平成十二年にはワット・パクナムで半年ほど安居・修行もしています。ご住職は、それらのことを懐かしそうに話されました。ソムデットは、大圓大和尚が亡くなられてから、博志方丈が再びワット・パクナムを訪ねてくるのを待っておられたようでした。
  訪間の主たる目的である留学僧の受け入れのお願いも、喜んで受け入れて貰えました。ご住職は、
「お父上の頃と同じようにやってください。留学僧はいつでも歓迎しますよ」
と、言ってくださいました。実は、筆者は以前ワツト・パクナムに四年ほど安居をしていました。そこで、お話をいただいた時、今回の筆者の役割は一行の通訳にあることを察し、ひそかにお願いの口上をタイ語で用意して行ったのです。しかし、その心もとない話しぶりに痺れを切らしたこともあるのでしょう、口上を全部聞くまでもなく、ご住職は用の向きを察し、ご自分から声をかけて下さいました。
  筆者が最後にワット・パクナムを訪れたのは、ちょうど三年前、2004年(平成16年)4月に大圓大和尚と病気のご住職をお見舞いしたときでした。工事中だった僧坊の建物は完成し、空き地だったところには国王の長寿を祝う大きな仏塔が着工されるなど、お寺の外観は少しずつ変わって行っていましたが、私たちを迎えてくれる旧知のお坊さんたちの笑顔は昔のままでした。ワット・パクナムと日本の仏教界の間には約五十年を超える長い交流の歴史があります。お寺の副住職のアーチャン・カワキタという日系人のお坊さんがおられたことが、そのきっかけではないかと思います。当初、大圓大和尚が安居・修行をされた頃は曹洞宗大本山総持寺が窓口になって、留学僧の派遣を行っていたようです。そして、昭和五十九年の設立を機にその事業を引き継いだのが善光寺の留学僧育英会でした。上座部仏教で得度を受けるには、得度を授けるお坊さんの檀越(信者)の仲介がなければなりません。タイでは一般の人々が、普通にやっていることですが、日本でその役を果たせるのは普光寺の留学僧育英会を中心とした、かっての留学僧のグループだけだろうと思います。上座部仏教の勉強を志す後進のためにも、この交流関係は是非、大事に守っていっていただきたいし、筆者自身も及ばずながらそのために力を尽くしていきたいと思っています。
「このところ日本人のお坊さんが来ていないね」
  帰り際に、旧知のお坊さんの一人が残念そうに言っていました。善光寺の留学僧育英会もそうですが、他の窓口でも上座部仏教の得度・修行を志す人の数は少なくなっているようです。かつて、大圓大和尚が安居・修行をされた頃は、毎年二人、三人といった規模で留学僧を送り出していました。今回の訪間でご一緒した山口老師も、よく、
「私たちの時代は、上座部の黄衣を着ることが憧れでしたよ」
と、話してくださいます。時代が変わったということでしょうか。今日、世間の通念では仏教は宗教の一つであると考えられています。しかし、修行を旨とするお釈迦さまの教えは、神をたて信ずることを中心にすえる宗教とは本来、カテゴリーを同じくするものではないはずです。そして、そのお釈迦さまの元々の教えが、どのようなものであるのかということを知るためには、お釈迦さまの教えを最も正確に伝えるといわれる上座部仏教の勉強が、是非必要であると筆者は思います。上座部仏教を学ぶ人々が増え、お釈迦さまの教えがさらによく私たちを導いてくれる日が来ることを願って、私たちはお寺を後にしました。

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