成寿一覧表

成寿 第39号 〈秋彼岸法会〉

 九月二十二日、善光寺では午前、午後の二回にわたって、恒例の秋季彼岸法会が執り行われました。ちょうど秋のお彼岸に、日野公園墓地へのお詣りも多い中、善光寺にも多くの檀信徒の皆さまがお運びいただきました。
 ご法話は、小田原成願寺山口晴通老師。テーマは「卒塔婆」についてでした。日頃、お彼岸と言えば当たり前のように感じる「卒塔婆」も、その成り立ちをお聞きすると、改めて崇高な気持ちでお詣りすることができます。
 ご法話に続いて、住職導師による法要に移ります。厳かな読経の中に連れられて、祖先や亡き人に向かう人々の心。まさに、此岸と彼岸が結ばれる瞬間です。参拝者一人ひとりの焼香をもって、無事に法要を終えることができました。

秋彼岸 ご法話
小田原成願寺住職 山口晴通老師

  皆さんこんにちは。今日のお天気は、雨が降るやら不安定のなかを、ご参詣いただきご苦労さまです。
 本来ならば、ご案内のごとく、本日は新潟県の方丈様がお話をなさる予定でありましたが、ご都合でおでになることが出来なくなり、急遽、私がピンチヒッターとしてお話をすることになりました。

 常日頃、よくお知り合いの皆様の前でお話をするということは、半分いいような、反面どうもやりづらいような気持ちですが、その分、皆様にはお気軽にお聞きいただければいいと思います。
 道元禅師様が中国へ参りました時に、二十五歳から三十歳の間ですね。こういう言葉を残しておられるんですよ。「孤舟(こしゆう)共に渡るすら」。何年か前に先代方丈様と檀家の皆様とご一緒に中国にまいりましたね。道元禅師様がご修行になった天童寺。ここへお参りさせていただいたのですが、ご承知のように蘇州とか、寧波とか、江南地方ですね。江南地方は水路が縦横無尽にあるんですね。現在では交通量のためになるべく水路を塞いでいっている方針らしいですけれども、私どもの参りました時代は水路が縦横無尽にありました。そこで大きい舟、小さい舟が交通手段として使われているわけですね。
 七百年前の道元禅師様の時代にはなおさらのことだと思うのですけれども、その小舟でこちらの岸からあちらの岸まで渡る。わずか数分間であるかと思いますが、それでもう渡ってしまえば、同じ舟の中にいた人とは一生会うことがないであろう。ですけれども、とにかく小舟に何人か乗り合わせたということは、「なお前世の宿縁あり」と言っているんですよね。現在偶然に一緒になったんじゃないと。前の世からのずっと積み重なった縁がそこで結ばれて、ひとつの舟に乗り合わすことができたんだと。だからお互いにこの尊いご縁というものを尊重しなければいけないんだよと。帰国後、若いお坊さん達に、ご自分の体験を通してお教えになっていらっしゃるわけですよね。
 そういたしますと今日、善光寺様のおかげで、私たちはこの善光寺の釈迦殿に、一つのお部屋で集まって、こうしてお目にかかれるということは、それこそもう前世以上の宿縁だと思っておりますね。そういう意味で私は今日のご縁をいただいたことは本当にありがたいことだと思います。そこでここに「釈迦牟尼仏」と書いてあります。
 お釈迦様のことになるんですけれども、どうも普通の方はお釈迦様というと、もう悟りきった、悟り済まされた方で、そしてお釈迦様というと、皆さんは別といたしまして、一般にはどちらかというと、葬儀とかご法要とか、そこの奥に鎮座ましましている、ちょっと近寄り難いというイメージの方が多いのではないかと思います。
 お釈迦様だって最初から年寄りで生まれてきたわけではないんですよね。「釈迦」というのは固有名詞ではないんです。普通名詞なんです。「釈迦族」という部族の名前です。よくお釈迦様はインドの方とおっしゃいますけれど、活躍されたのは今のインドですが、お生まれになったのは今のネパールの方です。ですからインドの種族の方とは明らかに違う。
 今、あちらに参りますとネパールとインドの国境があります。国境といっても鉄道の遮断機のようなものがひとつあるだけ。でもそこで出国手続、入国手続はやらなければいけない。で、その遮断機を通ってネパールに入りました。そうするとルンビニーという場所があって、そこでお生まれになったわけです。 お釈迦様は幼名をゴータマシッダルタ。小さい国とはいえ、れっきとした王子様です。ただしお母さんには恵まれなかった。お母様がカピラ城というお城で身籠られまして、日本でもそうでしょうし、その当時の風習としましてお産をされるには実家に帰るわけですね。で、お城を出て実家に帰られる、その途中で産気づいて、ルンビニーというところでお生まれになったわけですよね。ところがお母様は産後の肥立ちがよくなかったとみえて、一週間でお亡くなりになられて。その後はお釈迦様はお母様の妹ですから、叔母さんですか、叔母さんに育てられた。そういうわけで幼名は「ゴータマシッダルタ」ということで。
 お母様は亡くされましたけれども、小さいながら一国の太子ですから何不自由なく過ごされたわけですね。やがて、二十五歳の時ともいうし、三十歳の時ともいう、いろいろな説もありますけれども、とにかくあることに感じて、そのお城を出て、いわゆる出家をなさったわけですね。
 後世、釈迦族の中でもっとも尊い方、これを牟尼というんですよ。私たちが釈迦牟尼仏といっている、その牟尼の意味は釈迦族の中で最も尊い方という意味なんです。お釈迦様は、やがてブッタガヤでお悟りを開かれました。そこでお悟りを開かれたので「仏陀」と。インドの言葉でブッタと言っているわけです。この中の、私たちは「仏」という字だけを取り出して言っているわけなんですよ。この理論おわかりでしょうか?
 先般ネパールへ行きましたら「ブッダエアライン」という飛行機がありました。ルンビニーに飛行場をつくりたいというのは仏教徒の長年の願いだったんですね。以前、私たちは飛行場がルンビニーになかったものですから、北インドから国境を越えてネパールに入ったんです。今は飛行場ができて、カトマンズから逆に小さい飛行機でしたよ。プロペラの小さい飛行機でしたが、ブッダ航空でルンビニーまで行けるようになっているらしいですね。私も今回ネパールへ行ってカトマンズの空港で初めて発見したことなんですけどね。そういうわけで今でもブッダエアラインとして名前が使われています。
 このようにお釈迦様のお名前の由来をお話ししたんですが、やがてインド、特にベナレス、ガンジス川のほとりですね。ベナレスはその当時から商業都市として非常に発達した街なんですね。そこでまずお釈迦様が第一声を挙げられて、ベナレスを中心にして布教をされたわけなんです。
 やがて人間ですから歳はとる。お互い公平にとっていきますね。八十歳になられた時に、お釈迦様もやはり北のふるさとが恋しくなられたのでしょうね。やがてお弟子さんを連れて、北インドから今のネパールの国境を越えて、ご自分のふるさとのカピラ城へお帰りになろうとなされた。ところがネパールの国境に入りましてしばらく行った、クシナガラというところでとうとうご発病になってお休みになられたわけですよね。
 最後に「あなた方はこういうふうにして生きていきなさいよ」と。「私の肉体は滅びるけれども、これからは私が今まで教えを説いてきた、その教えを心のともしびとして生きていきなさいよ」と言ってお経を示されて。お経っていうのは亡くなった人にあげているわけではないんですね、最初はね。あくまでも生きている人に「こういう心持ちで生きていきなさいよ」とお教えをなさって。  そして、最後にお弟子のアナン様に「アナンよ、私はお水が飲みたい」とおっしゃった。それでアナン様が急いでお水を汲みに行かれた。ところが、その直前に何十頭かの牛が川を渡ったために水が濁ってしまって飲めない。で、川の水が澄むのを待ってお水を汲んでいった。ところがもうお釈迦様はその時には息絶えておられた。で、お口にお水を浸してさしあげた。いわゆる末期の水。末期の水というのはこういうところからもきているわけですよね。
 さあ、ここでお釈迦様がお亡くなりになりました。そうするとどういうことが起こったかといいますと、ぜひお釈迦様のこ霊骨を私共でお祀りしたい、という念願が起こったわけですね。で、八つの国から代表が来て「ぜひ私の国に欲しい」ということで争いになりそうになりましたので、ある長老の方が「それではお釈迦様を火葬にふしてこ霊骨を八つに分骨しましょう」ということで、八つに分けたわけなんです。
 本日、善光寺の方丈様から「お塔婆について何かお話をしてくれないか」というご要求がございましたので申し上げますが、ここからが今日の本題になるかもしれません。立派な方がお亡くなりになった時に、そのご遺体をお埋めして、その上に塔を建てるということは、お釈迦様以前からすでにあったインドの習慣なんですね。ですからお釈迦様もそういうわけで八つに分けられましたから、当然それぞれの部族の方がお持ち帰りになって、そしてこ霊骨を納めてその上に塔をお建てして、それからは文字通りお釈迦様をお慕いしてご供養申し上げたわけですよね。
 お釈迦様が亡くなられて二百年経ちますとアショカ王という人がインド全土を統一しました。そうすると各地に、この塔を盛んに建てたんですね。まあ伝説によれば八万四千箇所建てたと。これは数が多く建てられたということだと思うんですけれども、そう言われるほどたくさんの塔を建てて、お釈迦様をご供養申し上げたわけなんですね。そのうちの一本は現在でもベナレス郊外のサルナートの博物館に残っております。私も何年か前に拝見してきましたけれども、石でできていまして、さすがに上の方は折れてしまって、その残部が残っております。でも、その石の周りに、古代インドの言葉でずっとお釈迦様のことが書いてありますから、これは間違いなくアショカ王がお釈迦様没後二百年の後に建てたということがわかっております。
 インドではこういうふうに石で塔を建ててお祀り申し上げました。こういったことから仏舎利信仰が非常に発達してきたんです。  何年か前に先代方丈様と一緒にスリランカに参りました。この中にも、ご一緒した方がいらっしゃるんですけれども、お釈迦様の歯をお祀りしたお寺ということで、仏歯寺にお詣りもさせていただきました。
 仏教は南方スリランカ、タイランド、ミヤンマーの方へ行ったグループと同時に、今度は北のシルクロ!ドを通って中国へ参りました。そういたしますと、中国でもお釈迦様の本当の舎利かどうかわかりませんけれども、とにかくお釈迦様のこ分骨の一部を頂戴したということで、盛んに塔が建てられました。皆さんがいちばん馴染みの深いのは西安の大雁塔でしょう。これは唐の三代皇帝高宗が、亡きお母様のために建てたお寺で大慈恩寺、そこにあるのがよくテレビで出ます大雁塔ですね。あれが千二百年前に建てられた時には西安の人達、当時は長安なんですが、人々は驚いたでしょうね。今でこそ高層建築があって、その中のひとつですからそうも思いませんけれども、あの時分は、高層建築といえば、あの大雁塔の他はなかったのですからね。みんな驚いたと思いますよね。そこでお祀りをした。
 そんなわけで中国に行きますとあちこちで塔は見かけますね。たとえば仏教が初めて自い馬の二頭に、お経を乗せて中国へやってきたというので、洛陽の郊外に「白馬寺」というお寺がございます。そこの郊外に「白雲塔」という塔が立っています。それからもっと皆さん馴染みが深いのは嵩山の少林寺でしょう。達磨さんのいらっしゃった少林寺、嵩山。そこには中国で最も古いと言われている嵩岳塔というのが立っております。ただしこれはさすがに今にも崩れそうで中には入れません。今、少林寺といいますと少林寺拳法、あちらの方で有名ですね。達磨さんが本来九年間、あそこでご修行されたんですけれどもね。今はどちらかというと少林寺拳法。中国の人は少林寺拳法を習ってお巡りさんなどの職業に就きたがるらしいですね。少林寺拳法を身につけていると就職率がいいんだそうですよ。
 二、三年前、善光寺様、東郷先生のお供をしてドイツへ参りました時に、私はミュンヘンでお土産屋さんに行ったんですよ。そしたら私が作務衣を着ていたからでしょう、「どこの国の人だ?」と店員さんが聞くものですから「日本から来たんだ」と。「日本から来たんなら空手やなんかやるのか?」と聞くから「やるさあ」と答えて「ヤァー」と言ったら飛び退きましたよ。本当は何も知らないんですけれども。それくらい少林寺拳法、空手というものはヨーロッパの方にも知られているんですね。
 そんなわけで中国では材料は石でなくて、「傳(せん)」と言って黄土を練り固めた、日本の煉瓦の様な感じですよね。それをずっと積み上げて塔の材料にしていますね。現在でも造られているんですよ。有名な蘇州の寒山寺。私が三十年ぐらい前に参りました時は塔が無かったのですが、四、五年前には立派な塔が立っていましたよ。ですから今でも中国では塔が建てられているわけですよね。
 これがやがて日本に来ました。日本では聖徳太子の時代。そうすると法隆寺、薬師寺の東塔と西塔をはじめ、やはりこれも仏舎利信仰のひとつなんですね。日本でも埼玉県に慈恩塔が建てられましたね。これは「西遊記」で有名な玄 三蔵のこ霊骨の上に建てられた塔の名前です。お釈迦様あるいは玄 三蔵、そういった高僧方の舎利というご霊骨の一部を頂戴して、それぞれの塔が建てられているわけですね。日本へ来ますと、まず木造ですよね。こうして日本に塔婆の信仰が導入されました。
 これがやがて鎌倉、室町時代になりますと五輪塔ということで定着するんですね。これは皆さんもご承知でしょう。五輪塔と言いましてここから上、空風火水地となるんですね。五つの切り込みがあって形があるでしょう。これで五つの輪で五輪というわけですね、鎌倉から室町になりますと。もちろん江戸時代でもこういう塔がありますね。今、東京の伝通院に参りますと、家康のお母様の於大の方の墓、千姫の墓、家康の側室の墓、みんな大きな五輪塔のお墓ですね。こういうふうに正真正銘のこ霊骨を下に埋葬して、その上に大きな五輪塔を建てて、お詣りしたのです。
 やがて今度は現在のような墓石になります。一人ひとりがこんな立派な五輪塔を建てるわけにはいきません。今のようなお墓の墓石、あれが定着いたしますと必然的にこの五輪塔の名残として下をこういうふうに長くして、木製でもってお塔婆をつくって、そして私たちはお詣りしているわけですよ。
 こんなわけでお塔婆の歴史というのは、これはもう極端にいえばお釈迦様の以前からあったこと。しかもお釈迦様からは私たち仏教徒としては当然のこととして毎日お詣りしているわけです。ですから皆さんがそれぞれご自分の想いの方をお塔婆に心を込めてご供養いただいて、それをお持ちいただいてそれぞれのお墓にお建てになるということ。そういうことによってご自分と亡くなられた方とが一体になっているわけですよね。本当に一体になっている。前世の宿縁どころでない、前世・今世・来世、これ「三世」といいますね。ありがたい、そういった意味合いでもって、今の私たちはお塔婆というものを大切に扱っているわけでございます。ですから学問的にはいろいろな説もございますでしょうけれども、とにかく私たちはお釈迦様の時にさかのぼって、お塔婆に対する信仰というものがあるんですから、これからも大切にお詣りし、また守っていきたいと思っております。まだ、いろいろ話したいこともございますけれども、この後に大切なご法要が控えておりますので、またの機会がありましたら、お話しさせていただくことにして、本日はここまでにいたしておきます。どうもありがとうございました。

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