成寿一覧表

成寿 第39号 〈善光寺旅行会ご報告〉

 善光寺旅行会・婦人会では檀信徒の皆さんとの親交と信仰を目的とした旅行を企画しております。
 今年も恒例の本寺光真寺地蔵尊夏大祭に参拝致しました。
 また、十月には長野善光寺にお詣り致しました。土ハに、なごやかな雰囲気につつまれた有意義なバスの旅でした。
 来年は山形県鶴岡市の善寳寺の参拝旅行を企画しております。皆様のご参加を心よりおまち申し上げております。


光真寺地蔵尊夏大祭
 光真寺へのバス旅行は前回まで一泊二日の予定で計画されていましたが、これまで参加されたことのない方にも気軽にご参加いただけるように、今回は日帰り旅行となりました。

神秘的な護摩祈祷とお砂踏み
 バスは朝六時三十分、善光寺を出発。横浜駅西口で途中からの参加者と合流して、東北自動車道を一路、矢板インターチェンジに向い、十時に第一の目的地、光真寺に到着しました。光真寺では採れたてのとうもろこしやナス、キュウリのお漬け物でおもてなしいただき、その新鮮なおいしさに一同、感激。ひと息ついて、参拝に進みました。
 本堂まで進む廊下には、光真寺住職俊雄老師が四国八十八霊場を巡って集められたそれぞれのお寺の砂が縫い込まれた白い布が敷かれていました。一行はこれを一枚一枚踏んで歩くと、お遍路したのと同じご利益があるという「お砂踏み」という行列に加わりました。本堂では曹洞宗では珍しい護摩が焚かれ、赤々と燃え上がる炎を見ていると、自分の悩み、苦しみを取り除いて頂いたような感動を覚えました。

二班にわかれて、観光と温泉に
 光真寺を出発した一行は昼食をとる那須高原「お菓子の城」へ向かいました。ここで食事をとった後、この場所にある温泉でくつろぐグループと、バスで那須湯本の殺生河原に向かうグループとにわかれました。
 霧雨に煙る殺生河原はたくさんの地蔵と荒々しい岩肌が印象的。殺生河原から温泉神社を回る遊歩道は露に濡れた緑の樹々が清々しさを見せていました。温泉神社を下りて、土産屋の並ぶ道に接するところに、「あれっ!」。東屋風の小さな木造の建物には「こんばいろの湯」と書かれた看板があります。誰もが無料で入れる足湯の温泉でした。ちょっと熱めの温泉は水道水でうめるとちょうどいい湯加減。三十分ほどの散策を楽しんだ足には、いいリラックスタイムでした。観光もできて、足湯にも入れて、バスグループはちょっと得した感じです。
 このグループを乗せたバスは、温泉組を迎えに「お菓子の城」へ。そして、一路、横浜善光寺への帰路につきました。横浜駅西口を経由して、夜七時に善光寺到着。お土産も、土産話もいっぱいのバス旅行でした。お土産話を参加した皆さんのレポートでご紹介しましょう。


ありがとう / 阿部 毅正
 横浜駅西口の地下道から快晴の天理ビル前に出ると、朝七時前なのに沢山の人達がそれぞれ目的のバスを待っていました。人波をぬって三〜四人のバスツアーのガイドさんが小旗やボードを掲げて顔に汗を浮かべ、案内をしていました。
「横浜善光寺」の小旗を背中に、檀家総代である東郷さんがメモを片手に待っていてくれました。東郷さんの顔を見て「ほっ」としたのは、私だけではないでしよう。  七月二十三日に行われた善光寺主催の「大田山光真寺地蔵尊夏大祭と那須高原」の日帰りバス旅行に、初めて参加させて頂きました。気になっていた参加者数を聞いたところ、三十九名すべて大人とのことでした。
 九十一歳とは思えない、かくしゃくとした檀家総代の熊谷さんと東郷さんから、一五四五年建立の光真寺の歴史等を含めた含蓄のある話を聞き、相鉄バスガイドの「羽田空港で今、工事している管制塔は完成しなければ管制塔でない」等、車外の案内を聞いているうちに光真寺に到着。
 大田原城主の家紋の入った山門、副住職や大勢の檀家に出迎えられました。しばし大広間で、朝獲りのなすときゅうりのおいしい漬物でバスに揺られた体を休めました。その後、巡礼装束に身を固めた檀家の金剛杖の鈴の音に先導され、小袋に入れられた四国八十八霊場の砂を踏み締めて、本堂でのご祈祷に向かいました。
 赤々と燃えあがる護摩の炎を目の前に般若心経を唱え、住職さんに身を清めていただきました。帰りにも住職さんはじめ、大勢の方々の見送りを受け、気持ちよく光真寺をあとにしました。
 那須高原「お菓子の城」で昼食後、温泉入浴組と観光組とに分かれ、私は殺生石を見たあと、温泉神社で足湯を味わうことができました。
 さて、今日の旅行は、成寿山善光寺創建三十九年目であり、参加者も三十九名。そして四国巡礼三十九番札所、土佐半田村寺山延光寺の砂も踏むことができました。楽しかった旅行、「サンキュi」でした。

光真寺参詣に参加して / 羽部奈緒子
 そろそろ会社の有給を消化しなくては、と思っていた丁度その折、母に誘われたのが今回参加させていただいた日帰り旅行です。
 光真寺は、今なお懐かしい先代方丈様のご実家だと以前から聞いてはおりましたが、私と母は今回が初めての参詣でした。
 当日の朝、普段ならまだ寝ている時間に集合場所へ行き、「少し早めの夏休みだぞ」と、どこかウキウキした気持ちでバスに乗り込みました。
 学生時代をキリスト教の学校で過ごし、二年前に祖父が亡くなるまで家に仏壇もなかった私にとって、「お寺の参詣」と言えば今までは鎌倉や京都への観光を指していました。
 光真寺に着いて、まず振る舞っていただいたとれたて野菜のお漬物。和気あいあいとそれを頂きながら、田舎に遊びに来たような不思議な感覚から抜けられません。
 こらこら私、これからお寺へお参りをするんだぞと思っても、厳粛な気持ちはどこへやら。般若心経を手に正座をしても、むしろ少し懐かしいような気持ちでした。まるで、学生時代に毎日当たり前に学校のチャペルへ行き、礼拝に臨んでいた時のような。
 言葉としては知っていましたが、そのあと始まった「護摩焚き」は想像を超えて圧巻でした。百聞は一見にしかず、とはまさにこのこと。
 パチパチと火がはぜ、お経がパタパタとはためき、般若心経を幾度も唱和する声が響き、混じり合って、お堂に満ちていました。
 そこは、懐かしいような日常と飲み込まれそうな非日常の混在した綺麗で厳かな、とても不可思議な空間でした。
 仏教について、お寺について、難しいことは分かりません。しかしお仏壇に毎朝手を合わせたり、折々に墓参りをしたりする当たり前のことのその先に、何かがあるのかなと思いました。
 それはすぐに答えの出る明確なものではありませんが、今後お寺で手を合わせる時に、観光気分や「型どおりの厳粛さ」とは違った何かを感じられるのではないかと思っています。  今回、何の知識もないまま参加させていただきましたが、このような機会にお誘い頂いて本当にありがとうございました。
 また次の機会にお誘い頂けることを期待しつつ、少し仏教について勉強しようと心に誓った若輩者でございました。


大田山光真寺旅行記
 / 大野 孝雄
 平成二十年七月二十三日、バスにて東北自動車道を一路北上し、到着した大田山光真寺は、大野家の菩提寺でもある。栃木県北部那須の原の麓に開かれた大田原は、昔は寒村であり、その「仲町」という所で小児科の開業医を営んでいた父はよく光真寺に呼ばれ、往診に行っては、診療後真っ直ぐ病院に帰らず、お酒などをご馳走になっていたようであった。後年、私が先代方丈から食事によばれることが多いのは、この親同士の因縁かもしれない。
 光真寺は、大田原城主の菩提寺であり、小さな町の文化の発信源でもある。
 夏。町内の各所で行われる盆踊りは、地元の人の楽しみの一つでもあるが、夏の夜のメインイベントは、光真寺で開催される「地蔵尊百丈祭千燈供養」である。光真寺の長い渡り廊下一杯に蝋燭が灯され、それが「千燈」の意味であるが、外界の闇の中にゆれ動く光の数々。そこに幻想的な世界が出現し、子供心にもあの世はかくもありなんと思い浮かべたものであった。
 この日、本堂に座し、三十七世俊雄老師の読経に唱和していると、何処からともなく「おい、大野。どうしている。俺は、善光寺の基礎を強固に築いたつもりだ。檀家三千余名のお寺をつくり上げたが、少し早く走り過ぎたかも知れない。まだまだやりたいことが山ほどあり、このまま逝ってたまるかとの無念の情、溢れていたが、いま博志の成長振りを見るに、これでよかったのかも知れないという思いだ。これも現世の宿命か」、懐かしい声が聞こえてきた。
 「方丈。博志は、お前の自慢の息子だけあって立派に成長。事業をきちんと踏襲、順調に発展させている。今回日帰り旅行もその一つだ。まあ見ていてくれ」。読経が終わり本堂を出ると油蝉が一斉に鳴き出したのであった。

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