成寿一覧表

山形 善宝寺

山形県鶴岡市龍澤山善寳寺
 大圓大和尚は博志住職と檀信徒の皆さんになにを伝えたかったのでしょうか。生前、善光寺の次代を託す博志住職とともに、これからの善光寺が学ぶべき寺院のいくつかを訪ねることになりました。その一つが38号でご紹介した金沢の大乗寺であり、今回ご紹介する龍澤山善寳寺です。大圓大和尚亡き後、大圓大和尚の足跡やその信念と理念の拠り所をたどって、これからの善光寺に欠くべからざるものを探し、そして、学ばなければなりません。
 博志住職は、再開する善光寺留学僧育英会の相談役をお願いするために、善寳寺を訪問するに先だって、大本山総持寺に斉藤信義善寳寺山主を訪ねごあいさつに伺いました。斉藤老師は、大本山総持寺副貫首であり、多忙な毎日を送られていますが、博志住職のお願いに応えて、「善光寺育英会は仏教の国際交流という目的からも、価値と意義があるものです。喜んで引き受けます」と快諾をいただきました。
 善寳寺に参詣して、善光寺の壇信徒の皆さまにも、龍神様の感得をの願いをもって、博志住職は、檀家総代東郷敏氏とともに、七月、山形庄内平野の中央に位置する求法と実践の祈祷寺、善寳寺を再び訪ねました。善寳寺は大圓大和尚の大学時代の同窓生で同窓会「三心会」の重鎮鶴岡市保春寺住職、大八木春邦老師が寺務を務められているという由縁もありました。庄内空港にお出迎えいただいた大八木老師との再会から始まります。

龍神様を祀った東北の古刹
  善宝寺は、山形県庄内地方の城下町鶴岡市の北西にある。作家藤沢周平の故郷でもある。本尊は、薬師如来。水の神である龍神様をお祀りし、海の守護神として、漁業・海運関係者の厚い信仰が続いている。
  平安時代の頃に「法華験記」や「今昔物語」にも登場する妙達上人という高僧が天歴九年(九五五年)頃、この地にわたり、草庵を結び、「龍華寺」という名を付けたことが始まりと伝えられています。龍神様との因縁もこの妙達上人の時代にまで遡るといわれています。ある時、上人のもとに龍が現れ、『法華経』の功徳を受けた いと願ったといいます。その龍は妙達上人の『法華経』の読論を聞き、願いが叶い、妙達山の麓にある「貝喰みの池」に身を隠し、龍神様となりました。

北廻り航路の整備とともに広がる信徒
 延慶二年(=二〇九年)、大本山総持寺二祖でこの善寳寺の開祖である峨山紹碩禅師が藤原氏の請を受け、この地で巡錫しました。峨山禅師が妙達上人の坐禅石で坐禅をしているとそこにも龍神様が現れたといいます。禅師が「三帰戒」を授けると貝喰の池に消えていきました。
 さらに室町時代に至り、峨山禅師七世の法孫太年浄椿(たいねんじょうちん)禅師がこの地に伽藍を整備し、山号を龍澤山、寺号を善寳寺と改めています。やがてこの受戒会にまたしても龍神様が現れ、戒脈伝授を願い出ましたところ、たちどころに願い叶い、太年禅師は龍王殿を建立、さらに奥の院の貝喰の池には龍神殿を建立、龍神様をお祀りになったという謂われです。
 この龍神様と漁業は遠い遠い昔より深い信仰で結ばれ、人々は龍神様を通して、心の安心を求め、あるいは危険を未然に防ぎ、万人和合の根源を求めるなど、人々の生活の中にしっかりと生かされています。龍神様の信仰は北廻り航路の発展とともに北は松前から西は北陸地方そして遠く九州まで広がり、一年を通じ全国より参詣する人は多く、その賑わいと信仰を厚くしています。
 歴代住職は寺門の興隆に尽力し、江戸時代中期、第二十世霊感応伝(れいかんおうでん)大和尚の代には本堂庫裡などの整備が進み、今日の基礎が築かれました。また、天明六年(一七八六年)第二十六世大雲(だいうん)祥嶽(しようがく)大和尚の時代には、信者も広範囲に広がり、龍神様の話は関西方面にも伝わってご祈祷・祈願のご利益はあまりにも有名です。かつて、土砂の流れが止まらずに難航していた泉州堺港の工事のため、戎嶋慈眼院で善寳寺の住職による土砂退散の祈祷がなされ、満願の日に経文を記した小石を埋没したところ不思議にも深くなり船舶を導き入れ容易に入港できるようになったと記されています。また、この年の十二月には有栖川宮家より館入りが許され、宮家のこ祈願所にも定められました。
 明治時代に入り、第三十三世月円禅山(げつえんぜんさん)大和尚の代には、漁業関係者の発願による我が国唯一の「魚鱗一切の供養」の五重塔が建立され寺門の形が荘厳に整いました。

いまなお多くの人々の信仰を支えて
 善寳寺は背後に龍沢山、山門から数百年の大巨木、美しい杉林を背にそびえる五重塔。木立に囲まれた石敷の先の総門は安政二年(一八五五年)に建てられたもの。この総門をくぐると仁王像の待つ文久二年(一八六二年)に建立された山門があります。その右手には五百羅漢堂と観音殿、左手には高さ三十八・四メートルの 五重塔がそびえます。総檜づくりの塔には龍神 伝説を伝える彫刻が施されています。
 ここから九十六段の階段を上がった先には昭 和三十五年(一九六〇年)に建立された現在の 本堂、感応殿が広がります。青森のヒバで建て られた感応殿。感応殿に続く僧堂。善寳寺は明治三十三年(一九〇〇年)に専門僧堂となり、 道元禅師が自ら実践した、求道と修行の教えを 今に受け継ぐ善寳寺。それまで多くの名僧.高 僧を輩出しております。
 龍神様が身を隠したといわれている貝喰みの 池は感応殿に隣接する信徒会館に沿い、近代的 バリアフリー化された参道をおよそ十五分ほど 歩いたところにあります。この貝喰みの池はか つて「人面魚」の棲息でテレビや雑誌を賑わせ 大きな話題となった有名な池です。いまも「人 面魚」が一杯です。
 また、地域の信仰の中心として年間にわたる 行事も盛んです。その中でも立春の日に行われ るお水取り(水を汲み、本堂に納める儀式)は 厳寒のなか、神秘的で霊験あらたかな行事です。 貝喰みの池の横に建つ龍神堂の裏の沢より、山 主老師、それからご参集の人々により汲み集め られた「お水」は、貝喰みの池から善寳寺正面 総門に運ばれ、山門、階段を通って本堂前まですすみます。例年、参道は雪に覆われることが多く、厳しい寒さの中、「お水」はやがて須弥壇へと運ばれ、龍王殿に安置されます。
 また四月には稚児行列が繰り出される「龍王講春大祭」、放光堂に安置されている平和観音大祭(八月)、妙達山での供養法要が行われる秋大祭、妙達上人開基祭(十月)など、檀信徒の皆さんや地域の人々にとって大切な数々の行事がとり行われます。善寳寺は、いまなお日本有数の大祈祷道場として龍神様の霊験あらたかに、多くの人々の信仰を受けています。西は琴平金刀比羅さま、北の善宝龍神さまといわれる由以です。
 善光寺は来年の六月頃、ご利益の厚い善寳寺を檀信徒の皆さんと訪ねることになっています。どうぞ、奮ってご参加ください。

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