成寿一覧表

成寿 第40号 〈不動明王大祭 特別講演〉
平成二十一年五月二十八日 善光寺 身代り不動明王大祭にて 善光寺行事報告⇒
嘘から出たまこと

東郷 敏

 ご紹介頂きました論語からのお話です。
 ここはお釈迦さまの場所です。この寺で論語とは何かというわけです。前回に引き続き、知ったかぶりの東郷。博志住職の命により、お取次ぎさせていただきます。ご生前大圓武志というお方はたいそうな勉強家で論語にも造詣が深く、善光寺の書庫には膨大な書籍や資料が山積。中に「四書五経」に関する本も一杯詰まっています。もっともここにいらっしゃる倫子奥様が開基村岡社長の所でお過ごしでしたので、この会社環境が論語の教えを社是として経営する企業でしたから、朝な夕なに論語を勉強なさっていらした。大圓和尚も仏教を限りなくわかり易くと、お釈迦さまの教理を宗教と哲学相合わせもって説き、一隅を照らしておいでだったように思います。
 私はいまここに立ってます。そして善光寺がここにある、倫子奥様がそこにいらっしゃる。また博志住職が師父を継承しここにおられるという事実、この諸々は実に冥加であり、その全て論語がとりもつ「縁起」だと申し上げても過ぎておりません。
 前回、学習について、人は何故勉強するのか、何で学んで実行しなければならないのか。その目的は何なのかという事をお話しました。せっかく人間に生まれたのだから、「ああ生まれてきてよかった。生きてきてよかったという思い」またもっといい事があってもいいではないか。その為には享受するためのルールがあり、それを「学習」してまず、自らの心身を整える必要がある。良くなる為の心が必要なんだと申し上げました。
 今回は孔子が説いたその目的。学而編第一の第二番目についてすすめさせて頂きます。
 「有子曰く、その人となりや孝弟にして、上を犯し凌ぎ乱を作す者はいまだ有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟はそれ仁を為すの本か」(学而第1-2)
 孔子の高弟有子が「その人柄、即ち性質が、親に孝行であり目上の人に対して従順である人は目上の人を犯ししのぐことを好むものはいない。また反乱を起こしたり、世間をさわがす事を好む者もあらざるなり」とおよそ親孝行で徳ある人は物事の根本に力を尽くすものである。根本とは「孝弟」のことです。根本さえ確立すれば自然と人としての道が生じてくる孝弟こそ仁に至る必修条件である。と。
 論語の中で「子」の付くお方は孔子と並び称され聖者だと云われています。仏教のお仏像にも色々あり、如来、菩薩、明王さまなど。しかし真の意味の仏像とは「如来」と呼ばれる仏像だと教えていただいた事があります。他の仏像は仏教の世界を人々に説くためにその役割が様々な形で表現され、そこにあらゆる形が存在する所以だと伺っています。実際私も相対するとき、どなたに何をと迷いながら手を合わせます。論語でも「子」のつくお方は最高の役割とお徳を備えた聖者だと承知しています。その有子が孔子の思想、実行の第一は父母に対する「孝」。万人共通の本は親・祖先という事になります。
 親に安心してもらい、よろこんでもらい、敬するということがその人の運命の岐れ道になってくると教えているのです。
 私の結婚式で仲人の社長「開基」からの祝辞。今でも焼き付いています。「東郷よ、君は今結婚する。結婚とは何かと言えば、夫は妻のご両親に、妻は夫のご両親に精一杯の親孝行とご安心を与えてこそ夫婦たる資格がある」と。
 これを疎かにしたり忘れたら二人に未来はないぞ、結婚の意味はそういうことだと言われ、まるで、強迫・強要でした。
 以来、いかなる結婚式に招かれましても必ず、お取次ぎさせて頂き、若いお二人に肝心要だと敢えて述べて尽くしております。親に対する犠牲心こそは衆妙の門。なかなかできない事です。言葉も意味もその大事さもわかりますよ。わかってもなかなかできない事です。理屈ではありません。素直にやれる人だけにわかるよろこびと幸いです。孝の道は尊くながいのです。

 善光寺では二月四日。先に遷化されたご開山、白純大和尚を偲び感謝の誠を捧げ尽くす「開山忌供養会」がとり行われています。祖先の日という事で、寺では最も大事な位置づけがなされております。これを住職も引き継いでいらっしゃる。大圓武志和尚遷化され、翌年二月『成寿』三十六号は師父の遺志に従い、「ご開山二十七回忌特別追悼号と致します。巻頭から全頁に亘って掲載された追善供養」。師父の理念を通していかにお尽くしであったかお手元にご本があればご覧くださいませ。
 親の力と言うはすごいパワーを持っている。だから親を粗末にしたり、おろそかにしてはいけないのですと教える。あるとき寺の掲示に「親、祖先を粗末にするものはやがて自分も粗末にされる」とありました。ドキッと致します。
 孔子が二番目に置かれた意義は、つまり、学習の目的は何かと言ったら本につくすためだぞ。
 「本立ちて道生ず」だから本さえしっかりしていれば、その人はこの世の中に立ち、自ずと道を開いていきますと仰せなのです。かく云う私、対する孝は全く足りておりません。巳んぬる哉です。

 曹洞経典の中にご承知の通り「父母恩重経」がございます。
 父と母への思いが述べ尽くされています。「その大恩重きこと天のきわまりなきが如し」と。
 存命中は我が一身を捧げつくし、父母亡き後はただひたすら追善供養をすべしと説かれております。

 山形のある寺の住職さん。ご母堂さまが亡くなられた時、子となりや住職さん父母恩重経を繰り返し「続経」されたのです。やがてお堂一杯大唱和へと導かれ私も周囲も、人知れずして溢れる涙押さえられず、故人を心から偲び哀悼の心捧げ尽くす事ができたのです。刹那わが父母に重なって取り乱した事覚えています。実にわけがわかる「お経」。僧界はこれを実現するが「信仰を篤くする」すべではなかろうかと思い続けています。どうしてなのか状況同じくして機会に巡りあえないのです。
 仏教は智慧の教え説得力のある「お経」と「法話」を願わずにはおれません。

 神、仏、聖者は異口同音「父母を敬する」というを第一に挙げておいでです。
 遠い遠い数千年前からです。ここの客殿、正面に大きな坐像、聖徳太子が安置されています。お気づきの方、ああ半分ばかり。日本に仏教を招来され、普及の傍ら日本国憲法のはじまり、十七力条を制定。「和を以って貴しとなし、篤く三宝を敬え」と論し、さらにその理念第一にわが慈父母を敬うべしと熱い思いが日本書記の中に尽されています。この十七ヶ条、仏教と論語の思想を基調としてつくられたという。この条文1400年も前のことです。またキリストは旧約聖書出エジプト記の中にモーゼを介して示された神からの戒律、その十戒の第一条「汝の父と母を敬え、されば汝神に護られいのち永らえん。これは民族的境を越え、全人類のためでもある」と啓示しています。親孝行は是か非かという次元ではない。昨今親らしさを子たちに見せる事は社会のしくみ或いは生活環境からむつかしくなっていることは否めません。「これでも孝を尽くすべきですか」と詰められるとなにかと窮する場面が想像できます。「親、親足らずとも子は子たれ」これも孔子の言葉です。理由や理屈で通用しないのが孝の道。要は孝弟を信じるか信じないかその人の智慧と心の問題です。朝な夕な親祖先に向かい手を合わせるだけでいいのです。子たちに強制する必要はないのです。やがて、子は嫌というほど親のマネをするのが世の習い。
 あるとき、宰我(さいが)という弟子、「孝」を問います。父母のためにする三年の喪はいかにも長すぎます。一年一周が天道の常。一年で十分と思います。
 孔子答えて、お前が平気であればよかろう。まことに「不憫」だ。一体子供は生まれて三年の間是れ万人共通父母の懐に抱かれて育つ。そして三年しかるのちに初めて父母の懐を離れるもの。その恩に報いるに因んで三年の喪が定められている。お前は実に情薄い人間だ ああなにをか云わんと嘆き諭すところがあります。

 また或るところ孔子が、「お父さんが生きている間はその志を観。父没するときはその行いを観る。三年父の道、改むるなきは孝というべし」というとこがあります。
 大圓和尚がご存命中のこと、博志雲水が永平寺での修行報告書の中に「私は真似僧」ですとこ信念を吐露した文章があります。
 それを拝読し感動しました。何を真似するかというと、父の後ろ姿を観て父の真似をすると。師父を敬して、敬して違わぬこのこ姿勢。やっぱりえらいなこのお方。大圓武志和尚のDNAだと思ったんです。ここが論語の極意です。
 お父さんの存命中はどういう心で、なさっておられるんだろう、一生懸命に探り、父没するときはその行いを観る。
 生前父はどういう風にやっておられたかというところです。
 父の志を観る機会がなくなってしまった。以来博志住職は、父がこういう風にやっていたから、私もこうしています。父がやっていたその通りの事をやらせていただいています。という。早や四年。
 善光寺は、大圓武志和尚がお亡くなり、しばらくの間衰退の一途だろうという人も少なくなかった。私もそう思いました。ところが、ご存知の通り、亡くなられてから、さらに、ご参詣も行事ごと全山に溢れかえり賑わっている。
 昨今は大圓和尚があたかもそこに居ますが如く、なにもかも似ておいでだともっぱらの評判。いよいよ来年十一月大圓和尚七回忌追善供養に因み晋山式が同時進行。檀信徒挙げて新命方丈の到来を待っています。
 住職はこの実相に鑑みてこれは私の力ではないんですよ、師父の余徳であり、お陰なんですという。私の力だと仰せでないところ父親ゆずりマコト美しき流れです。これが務本の学なんですネ。

 石の上にも三年。という。三年経つとまた次の石がくる。三年の繰り返し。
 但し「雨漏りを三年直さぬ馬鹿息子」という諺もそれとなく大事を示唆しています。
 親子の情愛というものは明らかに他人とは別なものである事を教えながらすべて親が正しく間違いがない訳ではない。そんなときは子として「父母に仕えては幾諌す」盲従ではなく親に対し諌めることも大事と説いています。

 さてここで適切なのか、私の体験です。手に持つこの一冊忘れ得ぬ大切なアルバムです。表題を「岐路」。
 私二十才の時、五十一年も前のものです。
 大圓和尚と同じく六人兄弟の末っ子五男坊です。姉「人。家は農家。父は本家の後継でないのでいわゆる村の地頭より借地して作物する年貢つきの小作人。豊かではない食うに事欠かなくても現金に乏しい。口べらしをせねば生計が立たない。兄たちはよく極貧だったと謂う。私が小さい頃母に聞かされた話。「お前はいらなかった子。なんども畑の土手から飛び降りたがそれでもお前は生まれて来た。あの田圃がお前の誕生地だ。」ジョークだと思っても追い詰められている母の思いが伝わってくる。父の死は私十三才だった。のち母手によって兄姉たちに救われ成長、兄たちは義務教育ののち働きながら苦学している。私はみんなの援助で何とか高卒まで甘えて苦学もせず私だけ学歴、学力を持っていない。兄弟たちは云う。コ家に一人馬鹿がでると謂う。それはお前だ」。苦学までして高卒以上の学歴を持つ兄姉たち、みんな秀才だった。
 私が就職したのは昭和三十】年三月。戦後十年。時代は就職難。働ければ何処でもなんでもよかった。鹿児島から大阪へ叶ャ寿堂という小さな製造、卸の化粧品会社。聞いた事もない。女工さんと売り子。会社は大阪のど真ん中。全社員約五百名。年商八百万円というから規模は小企業。夢は一杯だった。入社して驚愕動転、二千坪位の敷地は一面焼野ヶ原、隅々にバラック式の建屋三棟。三年前に全焼、倒産、漸く再起。はじめての募集で入社した事になる。また何時倒産するかわからぬ事情。迎えた先輩「なんでこんな会社に来たんや」という。身を置く場所もない、私にとって入社は地獄でした。この有様を家や友人には語れない。仕方がない必要だから求めたに違いないと、とり敢えず諦める。入社式(二十八名)での社長の挨拶。会社はご覧んの通りだ。でも立ち直るのは早い。それを諸君に期待している。私は創業以来二十四年の間、二度も会社を潰した。今度は三度目の正直だ。昭和二十五年、二十六年は売上日本一。納税も業界一だった。いい時もあった。それでも倒産した。私に徳がないからだ。これからの会社は商品を売るより「人を売る」すべて事業は人。人材がなければダメだ。同じ誤ちはしない。諸君にとって大事は「仕事より親孝行」だと繰り返す。事業と親孝行、私の頭の中では繋がらない。
 社長は親孝行がいかに大切か体験を踏まえあらゆる事例を並べ三日三晩どこか修養施設に隔離されているような、ドップリと論語漬。混乱のるつぼでした。すべて極論なのです。十八歳の私にこの境遇を理解する能力もまた受入れる用意も準備も持ち合わせていなかった。最後に告ぐという「親をよろこばせ、安心を与えた者は破格の昇給、昇進を約束する。」と結んだ。
 さあ大変だ、親が亡くなったら出世できない。ボクの昇給のために元気でいて欲しい。俄かに母のことが心配になって来る。実に単純明解。業績は数字で出せる。しかし「親に孝」は数字が出ない。どうする。間もなく一週間後、東京支店に配属。新人は私だけ。初任給五千八百円手取り三千円位。これではうどん一杯、映画一本、見ることさえ難しい懐具合。兎にも角にも親をよろこばす方法はなにか。目に見えるあり方はなにか。これを実現出来れば「昇給」が約束されている。「オッカさん。ここが東京だよー」或るときラジオの歌が耳に届いた。これだー「母を東京に呼ぶ。そして見物」。早速郵便局に出向き通帳をつくる。表記に「母の東京見物」と記した。今の時代なんでもない。旅行会社もない当時は大層なこと。
 最低五万円が必要。旅費工面まで途方もない時間と額のように思える。確かなことは始めの一円がなければゴールもない。
 そんな一方安心はさせたくない。母には実状や会社の事情を大袈裟に書き送った。会社は潰れる、辞めたい、辛い、帰りたいと同情を求め続けていた。全く二重人格だったように思う。母の返事は唯々、帰るな、がんばれ、キバレの連呼。「お前は近所、隣に饅別をもらっている」と金の事を心配している。さて、志したら時間はかからない。目標が出来れば悪しきことなし。それまでの考えや行動まで]変する。休まない。ただただ働く。報奨金や残業。先輩の代わりはなんでもやる。殊に便所掃除に徹し、社内で始めた先輩の靴磨き、一回十円。町では五十円だったころ。この格安は評判を得た。そして感謝される。仕事の業績や信用まで急上昇。遂に七ヶ月目にして東京支店長に抜擢される。十九歳の新人を挙げ用いるなど大丈夫なのか。この人事、普通ではない。私も周囲もそう思った。以来、立場と位置が変わり、経営思考に変革。よく「立場が人をつくる」というが身を以って体験する。これも随分のち気付いた。
 「目標は五万の貯金」二年後通帳三冊。目標達成。「動機は美しくない。しかし心は日本晴れ」早速社長に事の子細を書き、貯金の額、一週間の休暇を申し出る。即答の電話「君はいいことをする。お母さんよろこぶだろうヨ。これまで社長の言うことを実行したものは一人もいない。褒美として貯金した二倍。休暇も二倍。これからの給料もボーナスも二倍にする。」耳を疑う。舞い上がるというよりしゃくり上げ涙が止まらない。二年も食わず飲まずコツコツ積み上げた五万円。一朝にして倍倍で返ってくる。社長はいう「親に出す金はスプーンではダメだ。背中がゾートするぐらいスコップで出せ」と。
 母とは二年半ぶりだった。その旅行のことを兄姉たちに報せる。すると「お前はいいことをする。末っ子のお前だけにふたんはかけさせられない。せめて旅費の一部にと」送られてくる。金子をアルバムに記しています。私は気が弱いから断れない。五万円、三万円、五万四千円、七万円、五万円。合わせて二十五万四千円。社長の十万円を上乗せすると突然私は億万長者になってしまったのです。親をダシにしたら金持ちになれる。ほんとの話です。東京駅で抱き合って泣いた、母との再会。しわのなかに顔を埋め込んだ母。スッポリ手の中にはいってしまうか細くなった母。よろこぶというより泣いてばかりいた。「よか社長さんだネ。よか会社にはいってヨカッタ。ヨカッタ。」と繰り返す。やがて落ち着き母が云う「あたいはひとりじゃなかよ」と。大粒の涙。胸に手を当て大事そうに着物の懐からとり出す白い包み。私に差し出したのです。ああ「父の位牌」。なんと、なんと→人ではない。私は堪らず号泣してしまった。「このとき」私の父と母。その存在、その有難さ、その尊さを知った瞬間だったように思う。うまく表現出来ません。おそらくあの瞬間がなければ私は、[いまここ」にいません。
 これは自慢話ではないのです。私が、欺いて「孝行」を企んだ一人芝居。しかし結果は瓢箪から駒。ここのところ私の理解と表現力では限界です。孝の道は「是か非か」「それでも親を敬し、孝を尽くすべきか」そういう次元ではなかったのです。「務本の学」は真の理でした。早や二十代半ばにして重役にまで挙げ用いられる始末。
 社長から随分のちですが云われたんです。君のやったことは実にちっぽけだ。ただ専一、親を思い一所懸命、貯金したことが尊いのだ。食わせ、呑ませ、養うは犬、馬でもする大事なことは「子とて親を敬愛し、違わぬ心」この心が君自身を救い、君自身のためになることを知って欲しい。君の心は、はじめはウソだった。私は見透かされていた。でも「ウソからでたマコト」。これが君の運命を変え、また私自身も救われた。人をつくるという信念に自信を持たせてくれたこと忘れないよ。お陰で会社は上場の機運も見えてきた。君のマネをする社員も数え切れない。人も人材も信用も一杯戴いている。「アリガトウ」と社長に云われたことは私も忘れていません。親のお陰で私は変わった。社長の巨論んだ「仕事より、会社より、親孝行が大事だ」商品売るより人を売ると云われた教訓は天地の理だった。この村岡社長こそ成寿山善光寺の開基です。「孝弟はそれ仁をなすの本か」。

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