成寿一覧表

成寿 第41号 ■平成23年 節分
善光寺住職 黒田博志
お不動さまに導かれ
 おはようございます。早々当山のご参詣ありがとうございます。今日は節分です。きのうまではほんとうにきびしい寒さ、しかし今日は辺りもなにやら春らしく暖みを感じます。三寒四温の時節でしょうか。
 さて節分とは、季節を分けると書きます。四季折々と申します。立春、立夏、立秋、立冬。一年の巡りは四回です。それぞれの前日を節分といい、殊に2月3日の節分は厳寒の冬から春意が動き、暖かく花が咲き誇るとても穏やかな季節に移ろう一年で最も大きな変わり目です。旧暦では今日が大晦日。いわゆる冬が終わり明日から新年になる旧正月のはじまりです。この節目に因んで一年間の邪気や厄払いをする特別な日。文字通り明日から春が立つ立春です。

 善光寺ではこの節分会というのは特別な法要です。
 師父は昭和44年11月にこの地に参りまして、発願利生、それこそゼロからの出発、最初に勤めた行事が翌年2月3日。節分会だったというのです。それから数えて今年は42回目の節分です。
 師父が遷化して私が住職として初めて導師を勤めました法要も六年前の節分。巡り合わせは不思議です。昨年11月28日晋山結制を円成し、法灯を継承することになりました。いまだ器ではありません。唯々微力ながら、不惜身命、より高く精進の決意です。ひとまず大きな行事を終え、ホッとしておりましたところ、ロベたな東郷総代さまより、「これよりのち一年、寺のいかなる行事も新命方丈の法話をもっておすすめ願いたい、他に頼るものではございません。決していいお話を期待している訳ではございません。どうぞ笑われ、失敗し、恥をかき、汗をかいて下さい。格好つけないで下さい。あるがままに仏さまのお話を聞きたいのです」と言われたのです。
 私は申しました。「私の話を聞いて助かる人はおりません」
 総代応えて、「その通りです。しかし、お話した住職が救われます」自分を尽くすことは、他を救うに非ずして己助かると悟ること、肝心です。考えるいとまもなく、説得され承知しました。この一年仕方ありません。恥をかき、苦しんで参ります。皆さま、どうぞ耐えて、忍んで、私を救って下さい。ご参詣が少なくなることを案じています。(笑い)

 晋山式が行われた日は、28日です。善光寺にとって28日という日は、お不動さまの縁日。とても特別な日です。寺の守り本尊はお不動さまです。奥の院を不動殿と申します。そのお不動さまについて少しお話をさせていただきます。
 師父とお不動さまとのご縁は師父がまだ学生の頃。五反田の桐ヶ谷寺というお寺に下宿しておりました。その近くにあの有名な目黒不動尊。師父はそこに日参していたというのです。「世界中に仏道を広めたい。私を遣わせてください。そのために私は一所懸命勉強します」と願をかけていたそうです。
 総持寺での修行中、永平寺で研修があり、その帰り道のこと。永平寺駅舎で見かけた仏像。その仏像に吸い込まれるように駅長室へ飛び込み尋ねます。「この仏さまはどなたが彫ったものですか」「彫り師のお方はどちらにお住まいですか」すると「すぐ近くにお住まいです。山口元菫さんという仏師の方です」
 矢継ぎ早の質問とあの行動力です。すぐその足で訪ねたそうです。
 「ごめんください」
 初老の彫り師に向かい、「駅舎にひかり輝く見事な観音さま、拝見いたしました。もしも叶うなら、同じ「葉観音」さまを私にも彫っていただけませんか。ご仏師でなければ彫ることのできない尊い仏さま」
 師父の迫力に呆気にとられた仏師。ふたつ返事で了承頂いたというのです。さらに「私はこれから、インドにお釈迦さまを訪ね、タイでは上座部仏教で修行致します。どこでも携帯できるようにお願いしたい」
 師父は当時25歳。この年にして、いまだ自分のものとして残るものがない。もしも、自分が万が一の場合、この観音さまだけは父母の懐に帰ってこれるようにと思ったそうです。この話を聞かされたのは、奇しくも私が25歳の時でした。師父はきっと、私に大事なことを伝えたかったのかもしれません。しかし当時の私は単なる 由来としか思いませんでしたこの縁起。私が生まれる14年前の出来事。大事を大事と思わぬ未熟もの。いまは師父の思いに胸が痛みます。師父の功徳菩提心と善根の偉大さを垣間見た瞬間でもありました。
 こちらの頼みが一段落したころ、仏師の方は師父の顔をじっと見据えて「あなたさんに頼みがある。私の手元にあるいまひとつのお不動さまを守って頂きたい」そういいながら傍らにある桐の大箱からお不動さま一体を差しだされたそうです。
 「随分前のことだが私はお不動さま二つ彫った。一つは、日本有数の鉄工場の社長さん。その人はまさに日本一になった。いまひとつこのお不動さま。つい一昨年、四国の或る霊媒師の方が来て『福井の山の奥に大きな寺がある。その門前に霊験あらたかなお不動さまが鎮座しているからお迎えしなさい。というお告げがあった』 というんですね。求められるほどに、なぜかその気になれなくてね。それから電話がなんどかあったが、手許から離れない。欲しい人にあげればいいのだが、でもそれ以来どうも気になってしまってね。今日、あなたを見てピンと来た。このお不動さまはあなたを待っていたんだよ」
 まことに不思議なご縁。仏像が人を選ぶ。そういうこともあるんですね。
 私にとって師父は鬼の不動明王。父のどこがお気に召したんでしょうね。(笑い)
 間もなく父は、外国に修行。寺が整わない間、本寺光真寺にてお祀り頂いていたそうです。帰国後師父が善光寺を興すと、光真寺住職である長兄の黒田俊雄老師が「これは武志の仏さまだから」と自らお不動さまを抱えて善光寺にお移しされ、奥の不動殿に鎮座なされたといいます。
 善光寺のお不動明王さまは、燃えさかる炎を背に強いご意志と熱い心と智慧で私どもを仏道 に導いて下さる衆生の救世主。
 28日はお不動さまのご縁日。日々、月々、早朝より「のうまく・さんまんだ・ばざらだ・せんだまかろしやだ・そわたや・うんたらた・かん・まん」とお勤めをさせていただいております。

 このご縁の深い11月28日。私もまた晋山式を迎える事が出来ました。
 当日は、まさに小春日和といった陽気。まだ薄暗い朝五時。大勢の方をお迎えする為に駐車場に大きなテントを張って、お手伝いの方々が準備をして下さいました。門前の石材店ではお店を開放して湯茶の接待から、洗面所までご用意下さいました。様々な不安は全て総代・役員始め山内のスタッフ、設営から受付まですべてお任せした統括の株ツ橋さま。法要を全て統括進行頂いた教区のお寺様。御随喜賜った御寺院様。地元の皆様。朝早くからご参詣頂いた多くの檀信徒の方々のお気遣い、お心遣いに救われ、すべてが障りなく予定通りに進行いたしました。 檀家総代である日野石材店組合理事長、鳥居家を安下処とさせていただきました。身支度を整え、ご先祖さまに供養のお経。お茶をいただき準備万端。行列の出発点、お稚児さんの待つ港南会館へ。40名のお稚児さんが賑々しく、色艶やかに、すでに身支度を整えて待っていてくれました。行列の露払いは地元の石材店の社長様方。長い竿に旗なびかせてお稚児さんとその保護者の方々。これだけで百名を超します。総代の皆さまが提灯を持って先導して下さり、私は大傘を被り沿道の声援に応えながら30分の行程で、ふと参勤交代もかくの如しであったのではと思ったりもしました。日頃慣れ親しんだ参道ですが、晋山での一歩 一歩はズッシリと重いものに感じました。事新たに師父に導かれ成寿山善光寺に入るんだなという熱い想い、同時に住職としての気概と使命感が沸いて参りました。ようやく無事に山門に到着しました。山門といってもご存知の通り善光寺には山門らしきものはありませんので、花壇沿いに俄楼閣を設え山門に見立て、法語を述べさせていただきました。

 この善光寺の門はいつでも分け隔てなく遍く広く開放されております。これからお役に立てるように尽くして参ります。どなたもいつでもどうぞお参り下さい。

 当寺山門に角塔婆が建っています。晋山結制を鑑み、その供養のため祈願と誓願を込め、ひとつには先住の七回忌追善法要と、この山がこの寺がこの僧が積功累徳仏法が永遠のものであるようにと東西南北それぞれに示しております。

 まず正面には
 「大圓鏡智 山門茲勤修晋山結制 奉為當山二世中興大圓武志大和尚七回忌 報恩高顕
文字通り先代住職七回忌に因み恩に報いん為晋山結制を勤めます。と示しております。

 その右側面には、
成所作智 銘日 歴世営々護法城 積功累徳正圓成 徳不孤而必有隣 晋山須積功千釣
お釈迦様より二千五百年代々途絶えることなく続いている仏法を護り、すべてのご縁の方々は功を積み徳を重ね今、まさにここに仏法は現前としております。そのお徳を慕い、多くの方が四方より善光寺に集い、晋山結制に因み、皆 様とともに功徳を積み、仏法が栄えますように。

 その左側面には
平等性智 経日 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間 悲膿戒雷震」観音経より。
仏さまの曇りのなき清浄の光は諸々の闇を照らし、世間の災いも苦しみも普く救ってくださいます。仏さまの授けてくださる戒は雷のように大きな力を持ってお守りくださいます。

 裏面には
妙観察智 維時平成二十二年十一月二八日 成寿山善光寺三世大莞博志恭敬謹誌
善光寺第三世博志新命は晋山式を勤めるにあたり、誓願をもって善光寺の住職として檀信徒の皆様方を敬い慎み、之に服して参りますと誓ったものであります。

 この度の晋山式を挙行するに準備期間一年有余。多く方々のご尽力のおかげで、無事勤めることができました。わけても師父と母が築き上げてきた草創期のご苦労を思うとき、この未熟な私、どのように恩に報いるべきか。尽くしても尽くしても足りない情念に駆られます。奇しくも38年前、昭和47年11月28日。この年、この月、この日、この刻に晋山式が執り行われています。これからも師父の後を追い続け精進をして参ります。

 最後になりますが、有名な父母恩重経という経典の一説「父母の恩重きこと天の極まり無きが如し」とあります。このテーマはまだ私生涯の課題です。節分会のお話を進めて参りましたが、思わぬ方向に行ってしまいました。それでもあらためて師父に足りなすぎる自分を見ることができました。次回はもっと成長致します。今後ともお引き回しいただきますこと、心よりお願いを申し上げ本日のお話とさせて頂きます。ご静聴いただき誠にありがとうございました。

 ※不惜身命 仏法のためには命を惜しまず尽くす。(法華経)

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