成寿一覧表

成寿 第41号 〈節分法話〉
平成22年 善光寺 節分追儺式
牛に引かれて善光寺参り

前平武男

 皆さんご存知の通りここは横浜の善光寺です。
 同じ名前で有名な信州信濃の善光寺。そこには有名な「牛に引かれて善光寺まいり」という話がありますね。その昔、信仰心の薄い、強欲なおばあさんがいました。ある日、このおばあさんが洗濯物を干していますと、牛がやってきてその洗濯物の布を角に引っ掛けて持っていってしまう。  おばあさんは」まて、まて1」と追っかけますが、牛は待ってくれない。あきらめようとすると牛も止まる。おばあさんは腹をたてて牛と追いかけっこ。やがて追いついた所が善光寺。そしてふと気がつくとまさに沈もうとする夕日に照らし映されたご本尊様、阿弥陀如来様。おばあさんはそのあまりの神々しさに、それまでの強欲さを反省し、一心に仏を拝む、信心、信仰心があふれてきた。と言うお話です。

 皆さんはどなたに引かれて横浜の善光寺へのおまいりでしょうか?私の場合、「素子に引かれて善光寺まいり」といったところかなと思います。(笑)素子って誰かと言いますと実は私のかみさんで、先代方丈の長女です。つまり、先代方丈の長女と結婚したわけです。私事で失礼します。十年越しの付き合いの末にようやく結婚となったわけですが、その出会いは変わっていまして、お寺の娘なんですが、キリスト教の大学で出会いました。私は高校からキリスト教の学校。聖書の授業もあり、賛美歌も歌いました。今思うとお経よりも賛美歌を先に覚えたんですね。勉強よりもアルバイトばかりの学生時代を過ごしていました。その中でも結婚披露宴のサービスをよくしていました。バブル時代で派手な式がまだ多かった時代です。結婚式でつきものと言えばスピーチ。なかでも印象に残っているのが「三つの坂」というお話。ご存知の方もおおいと思います。今日めでたくご結婚されたお二人に送ります。人生には三つの坂があります。上り坂もあれば下り坂もあります。良いときでもそうでない時でもお互いに助け合って仲良くして下さい。(健やかなるときも病めるときも汝はこの人を助け敬い愛しますか?)そして、人生にはもうひとつの坂、まさかの坂があります。突然に思いがけない事が起きた時、そんな時こそお互いに力を合わせて乗り切って下さい。というお話。
 実は私自身このまさかの坂を経験しました。学生時代の頃です。朝起きていつものように「おはようございます」学校に行くのに「いってきます」と言葉を交わした父が、倒れてその日のうちに帰らぬ人となってしまったのです。脳出血の一種でした。倒れたその日です。何の前触れもなくそれまで元気でいつまでもいるものと思っていた父の死です。一体何が起きたのか全くわからない。現実とは思えない出来事。ショックですよね。一家の大黒柱。全く予期しない、準備もないときに突然やって来たまさかの坂。
 私の家族は祖母と両親、そして兄が二人の六人家族でした。こういっては何ですが、順番から言ってもいずれは祖母が亡くなるのかなあと漠然と思っていたわけです。また、身近な人が死ぬと言うことが理解できなかったんですね。私の人生が大きく動いた出来事でした。その後、いろいろと精神的にも苦しい時期もありました。命のはかなさに、もろさにややもすると投げやりになった時期もありました。
 そんな悩みの中で宗教に頼った時期もありましたが、ピンと来るものはなかった。その間、今のかみさん、素子の存在にだいぶ助けられた気がします。付き合っていましたので、何度かこのお寺にも遊びに来るうちに先代の方丈ともお話をする機会がありました。
 「おばあちゃん元気かい、お母さん元気かい。大丈夫?生活は何とかなる?」優しい言葉。
 そのうちにあの大きな声、押しの強い、力強い声で、「どうだ!」と声をかけられまして、「これから新しく、やすらぎの郷という霊園をやる。寺でお墓を持つことは善光寺三十年の悲願だ。そこで俺の秘書課長でもやれ」と言われました。皆さんもご存知の通り親分肌の人でしたから、ついついその気になりましたら、いつの間にか髪の毛をそって坊さんになっていました。-…まさかですね。(笑)
 結婚式を挙げて、二ヵ月後に永平寺に。雪降る永平寺の山門で、初めて冷静になり、これは大変な事になった。 でもここで帰るわけにもいきません。腹をくくって修行するわけです。坊さんになるからにはどんな坊さんになるか。そもそも坊さんってなんだろう。考えました。先代にはとにかく、「尽くして、尽くして、尽くしぬけ」と言われていました。こんな言葉があります。 『僧、仏に向かうとき、仏、僧を見ず。衆生に向かうとき、仏、僧を見る』僧、私自身、冊人の痛みに寄り添える坊さんになる」と考えましたが、口で言うことは簡単ですが、いまだその入口をうろうろしているだけのように思います。
 そんな中現在、東京の仏教情報センターにて仏教テレフォン相談の相談員を務めさせていただいています。仏事の相談であったり、人生相談であったり、寂しさからでしょうか、毎日のようにかけてこられる方、話をしているうちに泣き出す方、その内容は本当に色々です。人はいろいろな事で悩むんだなあ。誰かに聞いてもらうだけで悩んで出られなくなった袋小路からぬけだす手がかりを見出すこともあるんだなあと思います。悩んでいる時はその悩み事で頭がいっぱいになっていて新しい考え方が出来なくなっている。でもその固くなった頭を柔らかく解きほぐすことが出来たら自然と悩みは消えている。悩みとして感じなくなっている。同じことでも考え方一つ、こころひとつだなあと。そんなことを感じ始めたところですが、まだまだ話を聞かせてもらうだけで、大してアドバイスらしい事は出来ません。まだまだ修行中です。永平寺から戻ってからの事。先に永平寺で三年間修行し、タイ国にも修行に行った現住職、博志方丈も帰っていまして、私にとっては、義理の弟でもあり、お寺では兄弟子になるのですね。博志方丈と二人、よく先代方丈に叱られました。夕飯は寺の台所で頂くのですが、二人並んで方丈の前に座るんです。食事中に、急に叱られる事もよくありました。「いいか、博志。わかったか。だめだぞ前平。そんなことでは」「ばっかだなあ」「貴様1」本当によく叱られたと思います。師匠と弟子の関係です。息子も婿も区別なく叱られました。でも毎日、叱られる事ばかりしていたわけではありませんで、実は、自分のことではないのに怒られることが多くありました。最初はなんだかわからなかったのですが、そのうちこれは、言葉ではないんだなあと思うようになりました。おっしゃられる言葉そのものではなく、言葉の裏側、真意、文章の行間みたいなものを読み取りたい。そう思うようになりました。当時の自分なりには努力をしたつもりだったのですが、おそらく、百分の一も受け止めることができなかったと思います。先代は、言葉ではない、いろいろなことを伝えたかったのだろうと思います。そのような先代方丈は師匠であり、義理の父でありますが、おいそれと親しく近づきがたいものがありました。あるとき、たまたま台所で二人になることがあり、その時に先代方丈にあの時に声をかけていただいたお礼を兼ねて、『あの時期でなければ、たぶん坊さんにはなっていなかったと思います。タイミングがちょうどよかったのですね』というような、話をしたんです。そうしたら先代方丈さんは』それが、縁だな。仏縁っていうんだな」と教えて下さいました。そんな先代方丈も皆さんご存知の通り、今から五年前、平成十六年十二月二十九日にご遷化なされました。遷化とはお坊さんが亡くなった時に使う言葉で、布教、教化する場所を遷されたという意味です。元気でエネルギーの塊のような方で圧倒的な存在感の方が病気になり、やせていかれる。まさかでした。私にとってまた理解できない、受け入れられない出来事です。余命いくばくもない、と聞かされた時。まさか……。いよいよ容態が思わしくないといわれ十二月の二十三日、家族が病院に呼び出されます。今晩が峠かもしれないと。酸素マスクをつけた状態で何時間、先代のベツドの周りにいたでしょうか。夜十時を過ぎたころまだ三歳になったばかりの私達の子供が眠くてぐずりだしました。先代方丈にとっては初孫で、とてもかわいがっていただきました。その子を車に乗せて寝かせようと病院の周りを何度も回りました。歳末、消防団の待機所の赤いランプが何箇所も灯り、小型の消防車が通り過ぎます。いつもなら眠るはずの子供も異常を感じてかなかなか寝付きません。そのうち携帯電話が鳴ってとりあえず病室にこいとのことで駆けつけます。病室では、家族一人ひとりが師匠にお別れの言葉をかけているとのこと。あなたも一言といわれベッドの脇にいきましたが、言葉が出てきません。やっと一言「方丈さん」と言おうとした時に、師匠はその大きな手で私の手を握りもうひとつの手で、ベッドの脇にいた博志住職の手をとり、自分のお腹の上で握らせました。「いいか。仲良くやれよ。博志を頼んだぞ。力を合わせて仲良くやってくれよ。けんかすんなよ、頼んだぞ」と言われた気がしました。言葉ではなく、その心に触れることができたと思います。最後の最後まで師匠は私にその事を伝えたかったのだと思います。それから五日後に師匠は遷化なされました。私を僧侶の道へ導いてくださった師匠の死、そして最後に託された言葉は私の胸に今も生きています。おそらく先代方丈は出会った多くの人たちに言葉だけでなく、心から接してこられたのだと思います。だからこそ亡くなってからも多くの方がそのご縁を大切にしてくださり、善光寺を支えて下さっているのだと思います。そして、博志方丈もその方々に感謝の念をもって受け止めているからこそ、先代方丈亡き後も善光寺はこうして、皆様にお参りいただけるお寺であり続けているのだと思います。
 皆様それぞれ、さまざまなご縁で善光寺参りにお越しいただけるのだと思います。実父と義理の父。この二人の死と言うものが今の私を形作っています。頂いた、ご縁、教えそしてご恩に報いる為に何とか未熟ながらやっている。いや仏様からさせて頂いているような気がします。ご縁、ご恩と申しました。かけた恩は水に流し、受けた恩は石に刻め恩という字は、因に心と書きます。因とは因縁。縁起のこと。細かく言いますと、因と縁と果に分けられます。原因があって、結果がある。その間に縁が存在する。たとえば、花の種があって花が咲く。でも種をそのまま置いているだけでは花は咲きません。その種を土に埋めて、水をやりお日様にあてる。それらの縁つまり条件がなければ結果は出ない。違った結果になる。問にある縁の存在。この縁の、受け止めようによって結果が違ってくる。受け止めるのは他でもない自分自身。自分のこころ。このこころ一つで人生が変わってくる。いや人生は変えることが出来る。心が変われば行動が変わる行動が変われば習慣が変わる習慣が変われば人格が変わる人格が変われば運命が変わる松井秀喜選手が恩師山下監督の言葉として紹介しています。偶然の縁などはなくて、すべて意味がある必然の縁である。その頂いた縁に対し、縁から逃げずにしっかりと受け止める。先代方丈さまはよく『人生に無駄なことは何もない。良い悪いは無いんだ。おかれている場所でしっかりと務めていれば、何も恐れることはない。無駄なことは何もないんだ』と教えて示して下さいました。しっかりと縁を受け止める。受け止めるのは他でもない自分自身。自分の心です。でもこの心こそが一番頼りないのです。すぐ乱れる。お釈迦様は、」心の畏るべきこと毒蛇、悪獣、怨賊よりも甚だし」と説かれ、「勤めて精進して汝が心を折伏すべし」こころを整えるべし、と説かれます。なぜこんなにも自分の心が一番頼りないのか、誰でもそうですが、自分の心の底深くに自分を中心に見る心が存在する。それは煩悩、欲望。代表的なものを貧・瞑・痴(とん・じん・ち)の三毒と呼びます。むさぼる心、おこる心、おろかな心……先代方丈さまはよくおっしゃっていました。『私たち怒りますね。自分が悪いのに怒っている。どうして怒るのか、愚かだからですね。どうして愚かになのか、それが、むさぼる心と申しまして、人様と比べて自分のほうがよくなりたい。よく思われたいなどと思う心があるから。この三毒があるからいろいろ至らない事が起きてくる』と。この三毒。言葉を変えれば鬼なのかも知れません。心の中に住む鬼。この鬼は身勝手で、いつでも暴れる。暴れる機会を待っている。だからその都度その都度この鬼を退治する。人問である以上鬼を完全に退治することはできない。ならば、心掛けて鬼を飼いならす。そして自分の意志で鬼の好きなようにさせない。そのことが必要であると思います。よい縁にめぐり、喜びにあっても、その楽しみ喜びをむさぼらない。また悪い縁にめぐり、悲しトみにあっても、その悲しみ、苦しみに焦げ付かない。心の中には、煩悩の鬼だけでなく、福の神となる、心もあると思います。「笑うかどには福来る」どうぞ、笑顔でよい縁を結んでいただければと思います。

 一牛に引かれて善光寺参り」のお話には続きがあります。お寺に飛び込み、阿弥陀如来様を拝むおばあさんが、ふとお堂の床に目を移すとそこには牛のたらしたよだれが鮮やかに光輝く文字となっておばあさんにこう語りかけたと言われます。牛とのみ思いはなちそこの道になれを導くおのが心を(牛だけではない。おまえのこころがおまえを仏の道に導いているのだぞ)
 「鬼は外、福は内」節分にあたり、身の回りのご縁をしっかりと受け止めて今年一年の皆様のご多幸を祈念いたします。

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