成寿一覧表

成寿 第42号 ●春彼岸法話
平成24年3月19日(月)
浄土宗浄雲寺住職 安井隆同老師(第二回育英生)


善光寺行事報告⇒

六波羅蜜

 善光寺さんにお世話になって、インドに留学させていただいた大阪・東雲寺の安井隆同と申します。皆さんとご縁をいただき、本当に感謝しております。
 今日はお彼岸ということでお話しさせていただきます。

 お彼岸は「彼(か)の岸」と書きます。私たちが右往左往して損した得したと生きているこの娑婆世界のことを「此岸(しがん)」と言います。此(こ)の岸に生きて苦しんで、悲しみ悩んでいると、どこか幸せとか悟りとかが遠い向こうにあるように思います。だから「彼の岸」と書く。
 坊さんが修行していても、悟りとか極楽はどこか遠くにあると思うんです。ところがそうじゃない。カール・ブッセの詩に「山のあなたの空遠く/幸ひ住むと人のいふ」とあります。みんな幸せとか悟りとかは遠くにあると思っている。でも山の彼方の空遠くに行って、「幸せがどこにあるのか?」ともう一度聞いてみたら「山のかなたのなほ遠く/幸ひ住むと人のいふ」と言う。仏法の悟りもそうです。修行もそうです。
 「悟りは脚下にあり」。悟りは自分の足元にあるんですよ。幸せもあなたの足元にあるんだ。それに気付くか、気付かないだけの話です。幸せも極楽も悟りも、あなたの足元にある。でも私たちは、この世で金や名誉や地位や学問に惑わされて、彼方に幸せがあるように思う。
 「彼氏」「彼女」の「彼」もこの字です。いい人は彼方にいる。私も目についた女房が鼻についてくるようになりました。目と鼻は距離が近いけど、どちらにつくかでえらい違いですね。

 「彼岸」の原語はインドのサンスクリット語で「パーラミター(波羅蜜多)」と言います。正確には「到彼岸」(彼の岸に到る)です。「摩」とは計り知れないほど大きいという意味。「摩訶不思議」の「摩訶」です。「般若」は「智慧」で「はかりしれない大きな智慧」によってパーラミッタ、彼の岸に到る。心のお経が『般若心経』です。

 

だから、お彼岸というのは到彼岸、彼岸に到る。これがお彼岸の法要です。今日ここに集まって頂いた方には是非彼岸に行って欲しい。そんなに距離は遠くないです。
 お彼岸というのは日本だけの行事ですけど、「暑さ寒さも彼岸まで」と言うとおり、暑くもなく、寒くもない、太陽が真東から真西に沈む時です。昼と夜の長さもちょうど半々です。全てが頃合いのいい時なんです。「すべての頃合いのいいのが悟りなんだ」という仏法の教えでもあります。
 人間は片寄っている。こだわって、とらわれて、苦しんだり、悲しんだり、悩んだり、損したり、得したりしてるだけの話であって、何でもほどはどの時が一番の悟りなんかというのがこのお彼岸です。

 仏法の悟りの境地も真ん中の道、「中道」であるという教えがあります。これを簡単に表した教えが一休さんの物語です。「このはし渡るな」と立て札を立てておいたのに、一休さんは堂々と渡った。「橋渡るな、と書いてあるのに、なぜ渡った」と言うと、「いや、私は真ん中を渡りました」。だから一休さんは小さい時から悟りの境地に達していたということでしょう。
 全てが頃合いのいいお彼岸に、私たちも静かに己を見つめると、お父さん、お母さん、ご先祖さん、世間さんのお陰が分かるはずです。ご先祖さんに感謝して、お墓参りもして、己を見つめなさい。どんなに名誉や地位や金があって賢い人でも、お父さんやお母さんがいなかったら命もないし、ご先祖さんがいなかったら今の家にも住めない。だから、このお彼岸に自分を静かに見つめなさいということです。
 「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」という芭蕉の句があります。「菩提」というのは悟りです。みなさん自分の心を静かに見つめたら、仏の心がありますよ。ひっくり返せば鬼の心もあります。その仏の心に気付いて、芽を出させるか出させないかです。
 私は富山県氷見市の農家の三男坊に生まれました。これから農作物の種を蒔く時期です。静かに見つめたら、あなたの心にみんな仏の種があります。その芽を出させて下さい。

 お釈迦さまは、悟りの道、極楽の世界へ行くには六つの修行方法があると説いて下さっています。それを「六波羅蜜」と言います。六つのパーラミッタ、岸を渡る方法がありますよと。

 第一は「布施」、施しです。何も坊さんだけじゃなくて、あまねく施しなさい。隣近所、困った人がいたら助けてあげなさい。施しをして、自分の徳を高めて、仏心の芽を育てなさい、ということです。
 なぜ布施をお釈迦さんは一番最初に説いてらっしゃるかというと、人間は放っておいたら欲と貪りの心が雑草の如く生えてくる。だから欲と貪りの心を少しでも減らしなさい。そのためには困っている人に施しなさい。そうすると少しずつ欲の心が無くなって、悟りに近づいていく。それが「布施」です。ないようであるのが欲、あるようでないのが智慧です。
 お坊さんが髪を剃ったり刈ったりしているのは、心は見えないので、心に生える煩悩の雑草を刈ることができないから、朝起きたら見える髪を剃って心を整理させて頂いてるんです。本当に剃るべきは「心の乱れ髪」です。放っておいたら貪りと欲の心が限りなく出てくる。普段は聖人君子だけれど、目の前に金と物がぶら下がったら目の色が変わります。
 お父さん、お母さんが亡くなって、金や財産があるところほど、無いと思っていた欲が出て、残った兄弟が他人みたいな喧嘩をしていますよ。人間の欲は限りがない。自分の貪りと欲が自分の幸せと悟りを一番邪魔しているんだ。その心を少しでも無くすために施しなさいということです。

 

 次は「持戒」。慎みと戒めを持って生きなさい、ということです。これには五つの大きな戒、五戒があります。殺すな、盗むな、嘘をつくな、邪(よこしま)な男女関係は慎め、お酒を慎みなさい、という五つです。
 ところが「殺すな」と言っても難しい。人や動物は殺さなくても肉や魚は食べる。坊さんは精進料理とかいって肉や魚は食べずに野菜を食べると言いますけど、野菜や果物にも命があるんです。生き物は他の生き物の命を自分の命として生きざるを得ない業を背負っている。だから「無駄な殺生をするな」ということです。全てを生かして使えというのが「不殺生」です。
 無駄のない生き方を徹頭徹尾貫かれたのが、曹洞宗を聞かれた道元禅師です。永平寺にお詣りしたら、一番最初の門に「杓底の一残水、流れを汲む千億人」と書いてあります。
 どういうことかというと、道元禅師は中国から帰って永平寺にいらした時、朝起きて弟子が桶に汲んできた谷川の水で顔を洗い、□をすすいで、桶に残った水を杓に移して谷川に返しに行った。水一滴たりとも無駄にしない。川下にいる人たちがその水を生かして使ってくれるだろう、という道元禅師の教えです。
 むかし日本では顔を洗ったり、口をすすいだり、風呂へ入ったりする習慣がなかったみたいです。道元禅師が中国へ行って、学んできてから日本に普及したということです。
 同じような話が京都の臨済宗天龍寺にあります。江戸時代の宜牧という小僧さんが、師匠の風呂を沸かしたら、熱すぎた。「宜牧、水持ってきてくれ」と言われて、つるべで水を汲んで持って行った。お師匠さんは湯をちょうどいい加減にして、残った水を宜牧に渡した。宜牧はその水をその辺にぶちまけた。それを風呂の窓から見ていたお師匠さんは「その水を草や木にやったら草や木が生きるだろう。水も生きるだろう」と怒鳴り倒したそうです。
 それから宜牧は修行に修行を重ねて悟りを開き、最後に天龍寺の管長さんになられた。その時に自分の名前を「滴水」とされたということです。
 私たちは他の生き物の命を命として生きるという性を持っているけれども、無駄な殺生をせず、慎みを持って生きなければならない、という「持戒」。

 次は「忍辱」、堪え忍ぶということです。辛抱です。私も若い時は辛抱できず、くってかかっていたけれど、失敗ばかりでした。辛抱していたら、幸せもやってきます。忍んで忍んで、堪え忍ばざるをなお忍ぶのが本当の辛抱です。忍ぶのには自分が強くなければ忍べません。自分に弱い人はすぐ爆発する。
 お釈迦さんの言葉に「千度戦場に出て千の敵に勝つよりも、己一人に勝つ方が真の勇者」という言葉があります。いい言葉でしょう。これが忍ぶということです。自分に勝たなかったら忍べませんよ。

 次は「精進」。何でもいいから一生懸命やりなさい、ということです。「努めても努めてもなお努め足りぬのが努めなりけり」です。
 野球のイチロー選手が世界記録を作った時のインタビューを耳にしたんですが、「小さな積み重ねが人をとんでもないところに持っていくものですね」と答えていました。イチロー選手は、大したことじゃないけれども小さなこと、基本的な決まったことを毎日途切れることなく実行しているそうです。
 世界の頭脳と言われるアインシュタインも「私は決して天才ではない。一つのことを誰よりも長くやってきただけなんだ」と言っている。やはり精進です。屋根から落ちる一滴の雨つぶでも石に穴を開けます。それが精進ですよ。
 人に見てもらおうとかじゃない。日常の、人が目もくれないようなことをコツコツと積み重ねていくのが精進です。

 五番目が「禅定」です。坐禅です。坐禅しなくても、心静かにということです。お釈迦さまは沈黙の尊さを説いています。
 私たちは日頃心が全く落ち着かない。あっちこっちへ行って、ざわざわしています。心がざわざわしていると真実が見えません。
 法然上人は「人の心は猿猴(えんこう)の枝を伝うがごとく定まり難し」と言っています。「猿猴」とは猿のことで、人の心はあっち行き、こっち行きして全然静まることはない。皆さんも私の話を聞きながら心があっちに飛び、こっちに飛びしてますよね。本当に心は定まり難い。でも私は皆さんが話を聞いてくれてると思うから真剣に話をさせていただいているわけで、誤解している方が幸せです。
 このように心は定まりがたい。でも時には静かな心で自分の心を見つめ、神様仏様と向き合うことが必要ですよ、ということです。

 もう一つは「智慧」です。これは知識とは違います。知ることに日が当たって、血となり肉となり、自分の身に付いたものが「智慧」です。
 今の教育は知識教育で、知識ばっかりだ。何でも良く知ってるけれども、何の役にも立たない。そんな大学だったら全部つぶしたらいいと私は思っています。智慧を磨かないと駄目です。
 聞いたことは忘れる、見たことは忘れない。したことは身に付くんです。聞いて知ったことは実行しなければならない。「智慧」というのはそういうことです。
 日本の政財界も、国会議員も、テレビを見てたって、それらしい顔をしてる人は誰もいませんよ。次の国会議員選挙があっても、皆さん行かない方がいい。国会議員がいなくても、役人さえいれば国は動いていきます。

 今挙げた六つのうちで、私が一番大事だと思うものは「困った人を助けなさい、優しく手を差し延べなさい」です。皆さんの職場でも地域社会でも思いやりは大事です。
 私は横浜善光寺海外留学僧育英会の第二期生として奨学金を頂き、インドに五年間いました。「よっぽど勉強したんだろう」と思われますが、昇る太陽と沈む夕日、月と星を眺めていたら、いつのまにか五年経っていたんです。
 カルカッタ大学にいて、三年ほど経って、お金もなくなり、どうしようかと思っていた時に、お釈迦さまが悟りを聞かれた十二月八日前後に一週間ぐらいかけて、成道の地のブッタガヤにお参りに行った。草むらに座っていたら、黄色い衣を着た坊さんが前を通った。歩き方や素振りで日本人だと分かったので、声をかけて話をしていたら、その人は善光寺育英会の一期生で、タイのワットパクナムでの修行を終える前に、お釈迦さまが悟りを聞いたインドの聖地を巡礼してから日本へ帰ろうと思って来たということでした。
 「そんな奨学制度ができたのか」と思いました。どう見ても私より賢そうには見えなかった。こんな人に奨学金を出すなら、私がもらった方がいいな、と思って住所を聞いて、黒田大圓武志和尚に手紙を書いた。すると「理事会に諮りたいから論文を書いて送れ」と返事が来た。書いて送ったら、すぐ返事が来て、「留学僧はタイとアメリカだけど特別に許可する。普通は一年だけど、あなたは無期限で好きなことをやってこい。ついては、いくら欲しい」ということでした。
 いくら欲しい? そりゃ多い方がいいですが、そうは書けないから、遠慮して「月三万円」と書いたら送ってくれました。当時、大学の教授でも月五〜六万の給料だったので、いいお金だったんです。

 一年が過ぎたら、理事会で「あなたの支給額は少なすぎるから五万円にします」と五万円送って下さった。見る目のある方は違う。二年目に大圓和尚が私のところに訪ねてきて、いろいろな話をして下さった。その中で「食べ過ぎて病気になってるような日本人が、”もう一口欲しいな”と思う分を、この留学僧育英会に寄付してほしい。一ロは十円だ」と。一日に三十円、一月に九百円、一年に一万円。だから、その一万円を寄付してもらって、この留学僧育英会に使いたいんだ、とおっしゃった。
 皆さん、一ロ一万円でいいので、是非お願いします。留学僧育英会も二十五回目の留学僧を送りました。あと五十年も百年も二百年も、千年も二千年も続いて欲しい。五十万円、百万円なんて長続きしないことはやめて、一ロ一万円だったら長続きします。私も恩恵を受けたから、これからさせていただこうと、博志方丈さんに出させていただきました。
 「金は貯めて置いていく。罪は作って持って行く。教えは聞かずして墜ちていく」。聞かなかったら墜ちていくのは当たり前だけど、聞いても墜ちていきます。
 お金はあの世に持って行けません。お金を貯めるために作った罪は、あの世に持って行かなきやならない。私のようにいいことを言ってくれる坊さんの話を聞いても墜ちていくんだ。何が一番真実かといえば、育英会の一万円の方が生きてきますよ。
 カルカッタでマザーテレサさんの教会に行ったら、時々お会いすることがありました。「死を待つ人の家」にも行きました。何日もご飯を食べていない家族に、マザーテレサさんがチャパティー(薄焼きパン)なんかをあげると、そこのお母さんが、いただいたらすぐ裏の家に行って、半分渡して帰ってきたという。それでマザーテレサさんが「あなたの家族だけでもやっと一食あるかないかなのに、半分どこへ持って行ったの?」と聞くと、「私の家の裏には、もっと貧しい家族がいるんだ。だから半分あげてきた」と言う。
 余っているからあげようではなくて、自分の食事を減らしてでも、相手を自分と同じように思う優しさ。これが本当の布施です。
 日本の国も世界も乱れています。これからは見えないものに対する畏敬の念、神や仏やご先祖に手を合わせる心が大切と思います。心の時代だから、世界中に一人でも真実のあるお坊さんは残っていただきたい。それを手助けするのは皆さんです。困ったところを助ける、これから生きる人を育てることが大事です。
 原子力発電は、百害あって一利なしです。敦賀の高速増殖炉には「もんじゅ」とか「ふげん」の名前がついている。文殊菩薩、普賢菩薩はお釈迦さまの脇侍です。原発も最後は仏さまの力を借りないと駄目だと言うことなのか。原発が駄目になったら「おシャカになった」とでも言い出すんでしょうか。

 どんなに偉いお釈迦さまでも、右腕、左腕が大事です。文殊菩薩は智慧を司る。普賢菩薩は慈悲です。阿弥陀さまも両脇に観音菩薩と勢至菩薩がいらっしやる。奈良のお薬師さんには日光菩薩、月光菩薩がいます。考えてみたら、清水の次郎長が偉くなったのは大政、小政がいたからですよ。
 横浜善光寺には、大圓武志大和尚の魂と精神をがっちりと受け止めた博志方丈がいるけど、お母さんのみちこ菩薩と、奥さんのまゆみ菩薩がおられるから大丈夫だ。
 善光寺育英会で育った百二十人から百三十人いる留学僧たちは、それぞれ国に帰って住職になったり、研究所の研究者になったり、大学の先生になったりして活躍している。先代の大圓武志大和尚は「身を削り人に尽くさんすりこぎの、その味知れる人ぞ尊し」と、いつもおっしゃっていました。「悟りは脚下にあり」です。彼の岸に悟りがあったり、幸せの世界があるわけじゃない。あなたの足元、あなたの心の中にこそ、悟りも彼岸も幸せもあるんです。


ページ先頭へ

  成寿一覧表