成寿一覧表

■ インタビュー
共に歩む 〜 総代さん紹介 〜 @

熊谷豊太郎さん(善光寺総代)

 新企画として「総代さん紹介」のコーナーを設けました。
 善光寺は開創以来「寺檀一体」の歩みを続けてきました。先代の大圓武志大和尚のもとで善光寺の基礎づくりに汗を流し、「仏道を通して世界の安心、平和、幸福に寄与しよう」という願いに共鳴して苦楽を共にしてきた総代さんたちは、仏法護持の諸天善神にも比すべき方々と言えます。
 草創期から今日まで、善光寺の成長発展を支えてこられた総代さんお一人おひとりをシリーズで紹介します。

「いのち運」いただいて生きてきた

- 熊谷豊太郎さん -

 善光寺の檀信徒で、この人の顔を知らない人はいない。筆頭総代として40年にわたり善光寺と共に歩んできた。「足腰が弱くなった。歩行困難なのが辛い。左の耳が駄目」と、わが身の衰えを嘆く。だが、善光寺の行事で、この人が法要後に矍鑠として挨拶する姿を見て、誰が95歳という年齢を想像できるだろうか。

 北海道小樽市に生まれた。小学生の時、腸チフスに罹り、一年間入院。その後、製材業を営む父親の郷里仙台へ移り、旧制中学を出てキリスト教教育を建学の精神とする東北学院大学の予科に入学。その頃、日曜学校にも通った。
 昭和13年1月、23歳で軍隊に入り、北朝鮮の羅南で教練を受けた。さらに中国北部、中部、フィリピン、シンガポFル、ビルマと転戦し、昭和18年、水戸で除隊。
 戦地から帰ると、今度は企業戦士として活躍した。川崎に本社を置くプレスエ業鰍ノ入社し労働組合の執行委員長を約七年務め、係長に就いて退任。その後は副社長、常勤監査役などの重責を担った。役員として主に工場建設を手がけ、藤沢、尾道、川越、宇都宮と相次いで工場を拡張した。また地域の交通安全協会会長、県安全協会理事などを歴任し、警察庁長官から交通栄誉賞、緑十字金賞、また神奈川県知事から県民功労者賞などを受賞した。

 善光寺との出会いは昭和46年11月のこと。この年、母親が死去し、知人の紹介で先代の大圓武志大和尚に葬儀を依頼した。プレス工業の取締役に就任して二年目になる頃で、応接間に会社の幹部らが集まる席で、武志大和尚は母親の戒名を示した。いろいろと話すうちに、善光寺の総代になるよう請われ、回りの幹部からも推されて就任を決めた。
 「現職の頃はとくに近くはなかったが、リタイアしてからは方丈さんといろいろ話すようになった。豪快で温かく、楽しい方で、お会いするのが楽しみでした。善光寺の開削二十五周年記念行事を鶴見の大本山総持寺で開催した時、突然、司会をやってくれと言われ、戸惑いながら務めたことがある。以来、何かと相談相手となり、深くお付き合いさせていただいた。よくご馳走にもなりました」と回想する。

 「いのち運はある」と言う。人生の途上、何度か生死の境を超えて生き延びた経験があるからだ。小学生の時の腸チフス、戦場では数多くの激闘を経験し、魚雷がわずかに外れて命拾いをしたことも。近年は心臓にペースメーカーを入れ、腰部狭窄症で入院した。
 入院中、同じ病院に武志大和尚が入院していることを知る。その頃、すでに武志大和尚の病状は芳しいものではなかった。「なのに、自分のことは忘れて、早く退院しろと私を励まし、見舞ってくれた。その心づかいは忘れることができません
 最後に会った武志大和尚は、病床で眠っていた。平成16年12月29日朝、世寿67歳で遷化。遺体は、武志大和尚が両親を追慕して建立した梅嘉庵に運ばれた。あれからはや七年。月命日にお参りを欠かしたことはない。

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