成寿一覧表

成寿 第42号 〈降誕会 法話〉
平成23年5月1日 
曹洞宗神奈川県第一宗務所第五教区
教区三仏忌法要「降誕会」にて
共に生きる

善光寺住職 黒田博志

 本日降誕会にご参詣賜りなによりでございます。ご紹介頂きました港南区の善光寺でございます。
 善光寺は横浜市営日野公園墓地の入り口にあり、霊園には「美空ひばり」さんのお墓もございます。この度ご縁を頂き、降誕会に因みお話をさせて頂きます。何分不慣れでございます。温かい眼差しで、私の話が下手でもたまにうなずいて頂きますと、とてもありがたいです。何卒宜しくお願い申し上げます。

 降誕会は「三仏忌」の一つであり、仏教徒にとってもっとも大切な祀りごとのひとつです。
  お釈迦様のお誕生日
  お釈迦様がお悟りになられた日
  お釈迦様がお亡くなりになられた日


 この三つを合わせて三仏忌と申します。
 さて皆さま、それぞれ何月何日かお分かりになりますか?
 お生まれになられた日は「降誕会」と申しまして四月八日
 お悟りになられた日は「成道会」と申しまして、十二月八日。僧侶にとりましては、十二月一日よりこの日まで臘八大接心と申しまして坐禅三昧にとりくんでおります。
 お亡くなりになられた日は「涅槃会」と申しまして、二月十五日
 それぞれの日にお釈迦さまを偲び尊んでご法要やお祭りをするのが習慣です。また、私はしばらくの間、三仏忌は世界共通の日だとばかり思っていました。キリストのお生まれになった日は、クリスマスとして十二月二十五日、世界共通ですね。お釈迦さまもそうだと思っていました。ところが、国によって違うことを数年前に知ったのです。
 上座部仏教の国、タイ。国民の95%が仏教徒。成人になれば必ずと言っていいほど、ほとんどの男性は出家し僧侶になるのです。私も11年前、タイで修行させて頂きました。
 タイでは三仏忌がすべて同じ日に生誕、成道、涅槃と同時進行しているのです。仏教の暦(旧暦)で第六の月の十五日、満月の日となっております。今の暦ではちょうど五月です。今年は十七日が満月になります。
 タイでは、この日をウェサカブチャーといい、行事では僧侶も信者さんも共にお祝いをいたします。人々は合掌し花と蝋燭と香を持ち、お釈迦さまの周りを右回りに三周いたします。その後お拝をし、お経を唱え、和尚さまの御説法を頂くのです。
 お釈迦さまの周りをグルッと廻るというのは、お釈迦さまのお徳を称え、尊敬の意を表す作法。先ほどのご法要でもお経を唱えながら方丈様方が本堂内を廻っておられましたが、同じ作法なのです。

 お釈迦さまがお生まれになられた時のことは様々な説がございますが、今からおよそ2500年前と言われます。インドの北側、現在のネパール、タライ地方にカピラヴァストゥという小さな都市国家がございました。当時、お釈迦さまは、その国を治めていた釈迦族の王子としてお生まれになっています。
 お釈迦さまの母親はマーヤーさまというお方。なんだかイエス・キリストの母・マリヤさまに似ています。臨月に入ったマーヤー夫人は、お産のために、実家があります隣の国まで向かわれます。その途中、ルンビニー園という綺麗な花が咲き乱れている楽園にお立ち寄りになられました。たくさんの花がしなだれるひと枝を掴もうとしたその刹那、お釈迦さまがお生まれになったというのです。ところが、お釈迦さまの母・マーヤー夫人は産後一週間でお亡くなりになられたのです。お釈迦さまはお母さまの尊い犠牲によってこの世に「生」をお受けになった。
 このように、お釈迦さまが花園でお生まれになられたことに因み、降誕会を花まつりとしてお祀りするようになったと言われております。

 私たちが親しんでいる花まつりでは、生まれたばかりのお釈迦さまの像に甘茶を灌(そそ)ぐという儀式があります。その由来は、お釈迦さまがお生まれになられてすぐに、天から甘い雨が降り注ぎ、お釈迦さまのお身体を綺麗に洗われたという伝説によるものです。一般的には産湯というものなのでしょうか。
 また、お釈迦さまはマーヤー夫人の右脇下がらお生まれになられ、すぐに東西南北に七歩歩まれ、片方の手を天に、もう片方の手を地に向けて、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)とお言葉を発したと言われております。
 「天上天下唯我独尊」という言葉の意味は、「宇宙間に自分(仏道)より尊いものはないという」意と、『広辞苑』や『大辞林』にも示してあります。天にも地にもわれ一人。これを「自分が一番偉い」と、独りよがりの驕り、高ぶりの発言と曲解される向きもありますが、自分とは、一人ひとりの人間とその命を示しているのです。
 お釈迦さまだけが唯一無二の存在だというのではなく、皆さまお一人お一人が「天上天下唯我独尊」なのです。すべての人が代わることのできないかけがえのない存在であり、お互いに大切にしていかなければならない尊い存在であるという意味のお言葉になります。
 命の尊厳、尊さを説いているお言葉です。道元禅師さまはここの所、「生を明らめ、死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と現わされています。

 先ほど皆様と共に「東日本大震災」でお亡くなりになられた方々への供養を勤めました。
 3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とする未曾有の大地震。その後巨大津波が発生し、すべてを消失させ、原発の建屋をも破壊し、今もその被害には目を覆うばかりです。
 見えない未来への恐ろしさ、不測の事態は、私たちが予期しない、準備しない時に突然やってくる。この尊いそれぞれの命をどのように守るのか。
 この時ほど、命の惨さを感じたことはありません。テレビ中継や被災された方が自らの命を削って撮影されたビデオが繰り返し放映されましたが、津波の様子は本当に衝撃的で、今でも脳裏から離れません。皆様も心を痛めておいでのことと思います。この事象は未曾有で、いまだかつて地球上で誰も経験した者はなかったと言われます。

 大震災の数日後、私がお墓掃除をしていますと、お参りに来られたお方が。
 「方丈さん、先日の大震災、今でも信じられません。親戚が宮城の石巻にいるんです。まだ連絡が取れません。不安で仕方ありません。どうしたらいいんでしょう。仏教ではこんな時ただ我慢しなさいと説くのですか?」と質問されました。
 私白身、その時点では備えも、心の整理のついていない時でしたので、ただただ同じ思いに、胸の痛みを感じるばかりでした。

 私は申し上げました。「信じて下さい。きっとみ仏は、守って、救ってくださいます。大丈夫です」と。これが精一杯でした。天も仏も神も自然も私たちに決して優しくはないのです。試練を与えてくださるばかりです。負けてはいけない。そんな思いがいたしました。

 道元禅師さまは、「同事」という教えを示されていらっしゃいます。「同じ事」と書きます。「同事」とは、少しでも相手の立場に成り切る努力をすることを言います。

  同事をしるとき、自他一如なり

 同事とは、自分と他人の区別がなくなり、ひとつになることです。相手の姿に自分自身を重ね、自分自身に相手の姿を認め合いながら共に生き続けるという願いを行じて行くことです。

 果たしてあの時、私は「同事」の心になっていたのだろうか。
 先日、ニュースで寄せられた義捐金の報道を耳にいたしました。今、二千億円が日本赤十字社に集まっているということです。これは莫大な金額です。国民一人当たり約二千円は送っていることになります。この短期間にです。国民の皆さまが被災された方々に思いを運び、共に生きていこうという意志の表れだと思います。これこそ「同事」だと思います。

 震災により、開催か中止か戸惑っていた春の選抜高校野球。しかしこんな時こそ「負けない日本」を示すべきと予定通り開催されました。

 心に残った「選手宣誓」の言葉をご紹介させて頂きます。

宣誓!
私たちは十六年前、阪神・淡路大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で、多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地では、全ての方々が一丸となり、仲間と共に頑張っておられます。
人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに、今、できること。それはこの大会を精一杯元気を出して戦うことです。
 「がんばろう!日本」
生かされている命に感謝し、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。
 平成22年3月23日
     創志学園高等学校野球部 野山慎介主将

 震災よりわずか十日余り、不安と悲しみに暮れていた吾々に生きる勇気と力を示してくれた高校球児。共に戦い、負けない心。今できることを精一杯行うこと。方向を示し、助け合うという思いに灯をともしてくれた選手たちに、「ありがとう」と申し上げたい。
 私たちも今、一緒になって共にこの境遇に負けないように今できることを、精一杯努めてまいりましょう。
 ありがとうございました。

ページ先頭へ

  成寿一覧表