成寿一覧表

成寿 第43号 〈訃報 黒田俊雄老師ご遷化〉

本寺光真寺37世光純俊雄大和尚遷化

 本寺光真寺三十七世光純俊雄大和尚が平成24年8月20日に世寿84歳にて遷化され、本葬儀が12月4日、5日しめやかに謹修されました。
 俊雄大和尚は先代方丈の実兄。先代亡き後、博志方丈の後見人として善光寺を陽に陰に見護つて下さりました。先代方丈の葬儀、毎年二月の開山忌、博志方丈の晋山式など都度に数え切れないほどの恩情を賜りました。
 心より追悼の意を棒げます。

『御足跡概略』
誕 辰 昭和 4年 4月 1日
得 度 昭和14年 4月 8日 光真寺住職 黒田白順
立 身 昭和19年冬中 興國寺住職 早川粗禅
伝 法 昭和20年 9月 1日 光真寺住職 黒田白順
転 衣 昭和23年 3月11日
瑞 世 昭和33年 3月15日 大本山永平寺
昭和33年 5月28日 大本山總持寺
結 制 昭和29年 夏前 初会 永盛寺
昭和52年 夏前 初会 光真寺
平成12年 夏後 再会 光真寺
補 任 平成13年 4月 3日 大教師補任
借 衣 昭和40年 6月30日 緋衣可
恩 衣 平成13年 6月 4日 赤紫恩衣特許

【住職歴】
 永盛寺 昭和27年 5月12日 昭和30年11月 1日
 全超寺 昭和30年11月 1日 昭和52年 3月30日
 光真寺 昭和52年 3月30日
 県宗務所長 昭和57年10月 2日 平成 5年10月 2日
 地方副監院 昭和59年 2月29日

【学校法人ひかり学園】 現在園児710名
 昭和39年 4月 8日 ひかり幼稚園開園
 昭和44年 栃木県知事認可 学校法人
 昭和53年 第二ひかり幼稚園開園
 平成13年 第一ひかり幼稚園園舎新築
 平成18年 学校法人ひかり学園と改称
 平成20年 第二ひかり幼稚園園舎新築

光真寺御前さまに心より追悼の意を表します
     善光寺住職 黒田博志
 御前さまを思いますと、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
 父・先代亡き後、本寺の往職として、伯父さんとして、また親代わりとしてそれこそ親身になって温かくお導き頂きありがとうございました。
 私には、祖父、白純老師の記億がほとんど在りません。白純老師ご遷化は昭和54年ですから、三歳の私にわかるはずもございません。しかし、父・先代から、よく話をきいておりましたので、多分に、祖父か、俊雄老師か、見分けがつかないほどに、よく似ておいでだつたのではないかと思つています。
 俊雄老師には、いつも「御前さま」と親しんでおりました。
 父亡き後は、私にとってはあたかも厳父であり、慈父であり、師匠という思いが一杯です。いつも「博志さん、はくしさん」と事あるごとに激励いただいたことが万感胸にせまって参ります。
 御前さまは、隔年お檀家さまと、当善光寺にお運びくだされ、都度小宴では、「北国の春」を熱唱されていました。本当に楽しそうなお姿が思い起こされます。
 また、当寺開山忌には、毎年ご導師をお勤めいただき、「孝順心」のお話の中から、お側に在った二祖懐奘禅師が高祖道元禅師亡きあとも生前同様、高祖さまがそこにおられるがごとく、終生お仕えされたお話を引用されました。私の父武志和尚も白純老師に終生そのようにお仕えされていたお話など、殊に「孝順心」の尊さをお諭しくださいました。
 平成22年11月、当寺晋山式では、西堂、白槌師のお役をお勤めいただき、無事円成できました。その節「『ろうそくは自分の身を減らして人を照らす』自分もろうそくのように少しでも人々を照らすことのできる憎侶でありたい」とまことに謙譲の美をお尽くしくださいました。
 先の震災後は自ら昼夜、陣頭指揮に立ち、復旧に全力傾倒、さぞかし苦難の連続だったと思います。「もう大丈夫」と、ようやく困難をのり越え、緊張から解放されたのか、ついに遷化されてしまいました。悲しく、残念です。
 ただただ、感謝、お礼ばかりです。
 御前さま本当にありがとうございました。


御前様を偲んで
     熊谷 豊太郎

 平成24年8月20日午前、善光寺の黒田往職より、光真寺黒田俊雄住職が今朝ご遷化されたとの訃報を受け、遂に御前の力が盡きてしまったかと、お姿を偲び暗然とした思いでした。
 御前は曹洞宗の要職を務め、黒田宗門本寺の長男として宗門の要の立場であり、善光寺創建時にも大層面倒をみていただいたと、先住大圓武志大和尚よりよく聞かされたものです。
 また、現在園児700名を超す学校法人ひかり学園を創立、カンボジアに於いても小学校を建設・寄贈等、教育と国際貢献にも尽力されました。
 平成16年12月先住がご遷化され、後を継がれたご子息、現在の博志往職に対してその重責を思い、善光寺への心配りのもと毎年幾度かご来寺焼香師などを務め激励とご指導をいただき、平成22年11月博志住職の晋山結制式の際は安堵とお喜びのお姿を拝見し、今でも瞼に残っております。
 御前が病に倒れられ、併せて意識のない状態であり、お見舞もかなわぬと聞かされた時は驚きと共に何かが崩れたような思いでした。
 離れていても大きな存在でありました御前様、淋しい気待ちでおりましたが、昨年7月23日光真寺参拝の析、美代子奥様とご子息法正師さんのご配慮をいただき、お見舞の機会を得ました。病床のお姿は残念でしたが大きな声で呼びかけますと、かすかに表情が動き、□許も何か話そうとする気持ちが表れているように見受けました。
 こちらの言葉は判るのでしようか、「ジーン」と心の交わりを感ずるものがありました。
 お元気な頃は何時お会いしても、厳かなお姿のうちに、にじみ出ている温かいお人柄に楽しく豊かな気持ちになったものです。
 ご教諭を受けた慈悲と感謝の心を忘れずに守りたいと思っており、光純俊雄大和尚と大圓武志大和尚のご兄弟は私にとって親しみと尊敬する終生の恩師であります。
 安らかな御冥福を心よりお祈り申し上げます。
     合掌




追 悼−生前を偲び、恩師を悼む−
      東郷 敏

 御前さま、私は茫然自失です。残念です。いまご尊影を仰ぎ、慎んでご入寂を悼み、追悼の意捧げます。御家族御遺族の皆さまには、ほんとうにお辛く悲しいことです。どうぞ負けないでがんばってください。
 終生のライフワークと仰せだった御前様。南方の山々に分け入り、戦後日本が救われ、この豊かさと安心平和に過ごせるは、まこと目に見えぬ尊い犠牲とその蓄積によるものだというご信念。老躯挺し、いくたびか遠く戦場の跡に赴き、英霊たちの屍を荼毘に付し供養三昧。この秋もまた南方に行くんだと、ご気概もご信念も溢れておいででしたのに如何とも叶わなかつた御前さま。遂に天の暦数に従わざるを得なかったのでありますか。
 かつて生者必滅会者定離とはこんなものだと、私に教えてくださった「人としての生き方」。今日は身を以てご啓示くださいました。やはりこれが天命というものでありますか。
 光真寺を本寺とする私共横浜善光寺。巡り来る年中行事には必ずお運びくださいました。第三世博志住職には愛弟子の如くそれこそ慈父の在り方。
 昨年二月開山忌の時に仰せでした。「この俊雄も父白純大和尚より五年も長生きさせていただいております。これもすべて厳父慈母の御陰であります。導く恩寿経に『父母の大恩重きこと天の極まりなきが如し』と、仏道はマコトこの心、教え諭しております。不肖俊雄も僧の道に携わって以来、師父の跡を踏みつつ、限りなく私を捨て、人のためにと尽くさせていただいていたつもりですが、尽くしても尽くしても尚足りず、いまだ叶いません。如何せん漸く師父を超えましたのは長命のみです。ああ已んぬる哉。顧みまするとき思うことは、先人は偉かった、唯々仰ぎみるばかりです」
 なんとも一期を予期なされているかのようなご法話でした。以来お運びになることはありませんでした。
 或る時、御前さまに「死とはなんですか」とお尋ねしたことがあります。「ふむー、死ですか。死んだことがないからトーゴーさん語れません。でもチト早い。大事なことは今日をどう生きるか、生き方を考えることが肝心です。その先に自ずと見えるのが死でしよう。どうでしょう」。まことに仰せの通り、御前さまは死という世界に踏み入れて、「千の風に吹かれて」おいでなのでございましょう。
 先の未曾有の大震災では、寺もお墓も心も身体も瀕死の事態、昨今のご心労は計り知れません。光真寺にお訪ねしたとき、「私は負けません。俊雄は大丈夫。大変なのは東日本全域です」。この毅然たる在り方。その裏を観じない訳に参りませんでした。
 御前さま、もう難儀されることありません。本寺御盆行事も滞りなく相済まされ、それを見届けられたのち真に見事な旅立ちでした。御前さまの生き様をみる思い致します。どうぞ黄泉に遊ばれる父君母君そして舎弟たちと般若湯酌み交わしながら後進をお見守りください。いまここに尽きることのない数々、述べても尽くしても尽くしても尚足りぬ思いでございます。
 御前さまはキット天のみ仏さまに救われて見守られ召されて逝かれたことと思います。
 鴫呼!御前さまありがとうございました。




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