成寿一覧表

■ インタビュー
共に歩む 〜 総代さん紹介 〜 A

中村治雄さん(善光寺総代)

 前号より「総代さん紹介」のコーナーを設けました。
 善光寺は開創以来「寺檀一体」の歩みを続けてきました。先代の大圓武志大 和尚のもとで善光寺の基礎づくりに汗を流し、「仏道を通して世界の安心、平和、 幸福に寄与しよう」という願いに共鳴して苦楽を共にしてきた総代さんたちは、 仏法護持の諸天善神にも比すべき方々と言えます。
 草創期から今日まで、善光寺の成長発展を支えてこられた総代さんお一人おひとりをシリーズで紹介します。

手を携えて心と身体の悩みを解決

- 中村治雄さん -

  医学博士で防衛医科大学校名誉教授、現在は 公益財団法人三越厚生事業団の顧問を務める中村治雄さん(81)は、善光寺と最も古い縁を持つ総代である。数年前に体調不良を感じてから総代を引退した。
 日野公園墓地に隣接する現在地に生まれた一粒の種の善光寺が、ようやく小さな芽を吹きはじめた頃、米国留学から帰国したばかりの中村さんは、まだ30代になるかならないかの若き黒田武志住職(大圓武志大和尚)と出会った。

 昭和7年5月に生まれ、慶応義塾大学医学部、同大学院を卒業後、昭和39年4月に米国フィラデルフィアのハーネマン医科大学へ留学。留学中に義父が亡くなり、公園墓地へ眠った。葬儀を勤めた青年憎について、義母から「今度の若いお坊さんは面白い方よ」と聞いていた中村さんは、昭和42年に家族と共に帰国して義父の墓参を果たし、黒田住職と初めて顔を合わせた。
 「明るくて、やさしい人。多少せっかちなところもあるかな」というのが初対面の印象。し かし、黒田住職もタイやアメリカでの修行経験があり、国際的な視野を持っている。「日本だけを見ていたのでは井の中の蛙だ」という考え方でも共通するものがあった。
 当時、伽藍建立に努力していた黒田住職のもとへ、保土ヶ谷にある自宅からしばしば通うようになり、次第にうち解けて、話し込んだり一緒に食事をしたりの交流を重ねていった。
 やがて「病気のことや薬の話、どの病院ヘ行けばいいのかなど、檀信徒からあれこれと相談されるようになり、とうとう毎年敬老の日に善光寺で檀信徒の医療相談を受けるようになった」という。
 慶応義塾大学医学部の内科講師から東京慈恵会医科大学青戸病院の内科講師、助教授と異動してからも、善光寺での医療相談は続いた。その後、昭和58年8月に、中村さんは防衛医科大学校から第一内科教授として招かれて埼王県所沢市へ移ったため、通算10年余り続いた善光寺の医療相談は中止となった。
 その頃はまだ「医者と坊主が手を組む」のは珍しいケースとして注目されたが、何も二人が結託したわけではない。純粋に僧侶と医者の立場で人々の心と身体の悩みや苦しみを解決しようという動機から始めたことだった。
 仏教との縁は他宗派にも広がった。長く日本医師会会長を務め、政財界にも影響力を持った故・武見太郎氏に可愛がられ、患者の診察を任 されることがしばしばあった。ある時、熱心な 日蓮信仰者だった武見氏の指名で日蓮宗総本山身延山久遠寺法主の主治医となり、二代にわた り身延山法主の最期を看取ったこともある。
 「黒田住職は立派な、心のやさしい方でした。 誰にでも相談に乗ったり励ましたりする姿を見 ていると、お坊さんというのは、その場その場 を大事にして、檀家の人や訪れる人に出来るだ けのことをしてあげる存在なんだという思いが強い。医者もそうだが、基本的に私共の仕事は、 生きている人が人生を有意義に楽しく過ごせる よう、お世話するのが務めだと思います」…
 大圓武志大和尚の在りし日の姿を偲びつつ、し みじみとこう語る。


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