成寿一覧表

成寿 第43号 ●盂蘭盆施食会法話
平成23
善光寺住職 黒田博志老師

善光寺行事報告⇒

 

盂蘭盆施食会のこころ

 本日は盂蘭盆施食会です。特に初盆をお迎えになった方々を中心としたご供養です。初めて善光寺にお越しになったお方もいらっしゃいますのでまずはじめに当寺の話を少しさせて頂きます。
 私の父であり、師匠である、先代住職黒田武志和尚が昭和44(1969)年に栃木の大田原からこの地に参りまして何もないところから創めた寺でございます。
 師匠は若い頃、両大本山で修行。以来、永平寺から、また永平寺より還るみちのり約8000キロの全国托鉢行脚をし、さらにインド佛跡、タイ、アメリカでも修行させて頂きました。タイではオレンジのお袈裟を身にまとい、上座部仏教に勤しみ、アメリカでは、開教師として欧米の方々と共に坐禅三昧、それらのご縁で得たものを日本でいかしたいと開いたのがこの善光寺です。開創間もなく世界に仏教で貢献できる青年僧、人材を育てようと、育英会を設立。すでに120余名を派遣しています。
 その師匠も平成16年12月他界致しました。まことに不測の事態で、不肖私が急遽、後を引き継ぐこととなりました。師匠は生前、よく「善光寺を、ご縁頂いた皆様に安心し喜んで頂けるお寺にしたい」と言い、ほんとうに粉骨砕身精進勤めておりました。ただひたすらに御檀家さまを御大事にと申しておりました。そんな師匠のこころを私のこころとして日々精進している最中です。

 私が初盆を迎えたのは師匠が亡くなって半年経ったときでした。皆さまと同じように寂しくて、悲しくて、辛かった。家族で仏壇の前でお勤めをしておりますと自然と涙が溢れて読経もままなりませんでした。失って初めて気づく大事な存在。どうぞ今日より皆さまも故人さまが初めてご自宅に戻ってこられます。ご生前同様に故人さまがそこにいますが如く御一緒にお過ごしください。

 さてこれより、皆様と共にお勣めをいたしますご法要は「盂蘭盆施食会」と申します。この言葉は二つの言葉から成り立っています。
 一つは「盂蘭盆」であり、いま一つは「施食会」という言葉です。
 盂蘭盆というと皆様には馴染みがないと思いますが、ひとことで言うと「お盆」のことです。ご存知の通り、日本では7月13日から16日、または8月13日から16日が通例となります。

 よくお尋ねがございます。「『うら』があるなら『おもて』もあるのですか?」「おもてが七月で、うらが八月ですか?」と。文字を見ますと明らかに裏、表の字ではないですよね。
 もともと「盂蘭盆」言う言葉は、古いインドの言葉で「ウランバナ」という語の音写で、漢字に音写されたものです。それではウランバナとはどんな意昧かといいますと、とても厳しく辛い状況のことで「さかさに吊るされた激しい苦しみ」という意昧です。ですから漢字で「倒懸(とうけん)」とも書きます。生きているということは、実は苦悩に充ちているのです。そのさかさまに吊るされた苦しみを取り除きたいという行が、お盆の行事です。由来はもともと「盂蘭盆経」というお経に出てくる仏説に因んでいるのです。
 従ってお盆はお釈迦さまの時代に遡ります。お釈迦さまの十大弟子の一人に、神通力の勝れた目連という尊者がいました。目連尊者はある日、すでに亡くなってしまった自分のお母さんはいったいどこでどうしているのだろうかと知りたくなり、神通力で透視をしてみました。
 すると母は餓鬼道に堕ちて、食べるものも食べられずにとても苦しんでいたのです。その姿を見て、目連尊者は矢も盾もたまらずお母さんを救いたいと飯食を差し出しました。しかし、その飯食は炎と化して食べることができませんでした。
 尊者は悲しみ、お釈迦さまのところへとんで行き「どうすれば母を救えるでしょうか?」と助言を仰いだのです。するとお釈迦さまは「安心しなさい」とこう仰ったのです。
 「目連よ、おまえのお母さんは決して悪い人ではなかった。お前にとってはやさしい人だった。しかし、お前のことばかり考え、お前だけを愛しかわいがり、他をかえりみず物惜しみをして、さまざま悪業を犯し重ねてきてしまった。お前ゆえのこの罪は深く、愛し子ゆえに地獄に堕ちてしまったのです。だから苦しんでいるのです」と。
 それを聞き、尊者はとても嘆き悲しみます。
 するとお釈迦さまは、さらに、
 「目連よ、いかにそなたが神通第一であっても、その力によって母を救うことはできない。七月十五目、お坊さんが三ケ月の安居を終えて遊行に出かける日がある。その日お前は、お前の限りを尽して十方の大徳ある憎たちに百味の飯食を供養し、その力にすがりなさい。さすればその功徳によって、お母さんは救われるであろう」と仰いました。
 それを聞いた目連尊者は、導かれるままに供養しました。その功徳により、お母さんはその苦しみから救われたということです。救われた母の姿を見た目連尊者や周りの人々は、うれしさのあまり我を忘れてうたい踊って喜んだというのです。それが今の盆踊りの始まりだといわれています。
 目蓮尊者がお母さんを救いたいと思い、極楽浄土でいっそう幸せになっていただきたいという思いから始まったこの行事が、今や仏教徒最大の行事となったのです。孝養心と感謝の行事です。どうぞ皆さまもこの由来を心して、お盆の期間中、大切なお気持ちでお尽しいただきたいのです。

 いまひとつ、施食会です。
 施食会とは、別名「無遮会」ともいいます。遮ることのないと書きます。隔たりなく、一切合切すべてのものに供養するということです。
 こちら前方の棚の中央に安置しております三界萬霊のお位牌は、一切合切過去、現在、未来永劫すべての精霊を示しています。ご縁の有る無しに関わらず、すべての諸精霊に等しく供養するという願いが込められています。
 目に見えない祖先や両親、目に見えない尊い恩人の思いと犠牲と、その蓄積によって今の自分があることに気づき、感謝報恩のマコトを尽すというのが盂蘭盆会の縦軸。施食会はその横軸になります。これがお盆です。
 ここには新亡諸精霊、檀信徒各家先亡累代諸精霊、披災東日本大震災物故者諸精霊、当山亡僧法界亡憎伽等各々品位のお位牌を安置し、さらに色とりどりの旗があります。これは真旗と申しまして、この旗にやどる諸仏諸菩薩さまのもとに、ありとあらゆる精霊さまにお集まりいただき、自分のご先祖さまだけではなく、一切合切すべての精霊にご供養申し上げることがこの供養会のあり方です。
 今、私はここに立っております。これは自分ひとりの力ではありません。ここに坐する皆さまも同じです。多くの方々のご縁とご支援により「今、ここ」にいます。
 まず、父母のおかげです。その父母にもそれぞれ両親がいます。さらにその父母にも両親がいます。ズラリと、本日十三名のお和尚さまにお手伝いに来ていただいていますが、この方々にもお父さんお母さんがいます。さらにこの方々のご両親にもお父さんお母さんがいます。檀信徒のみなさまのご両親、さらにそのご両親。大勢の目に見えない尊いご縁によっていまの私たちがあるのです。だから、今に気づいて、歩いてきた道のり、今立っている位置に、ありがたいと思い、感謝合掌低頭して、先人の思いに心尽したいものです。今の私たちは、よかれ、悪しかれ、仕合わせなのです。ただ気づいていないだけなのです。

 お盆の期間中、精霊棚をご自宅にご準備いただくかと思います。どんな形でもお心を供えれば、今ここにある施食棚と同じ意昧を持ちます。
 精霊棚にお仏壇からお位牌をお移しし、その奥に安置いたします。手前にローソク立て・香炉・花立てなどを置きます。お供え物はお花やお線香・お灯明のほかに、自然からいただいた果物・野菜などをお供えします。これで諸精霊をお迎えすることができます。
 迎え火は年一度、ご先祖の霊をお迎えするのに、道に迷われないようにと、その思いがこめられています。盆提灯もそのひとつです。
 昔は、お墓にお迎えに行き、提灯に火をつけてそのまま行列をして家に戻ってきたそうです。そのなごりが、今も続いている玄関先での迎え火です。住宅事情もかわり、提灯を吊るしたり、迎え火を焚けないこともあると思いますが、どうぞ、大切なお方をお迎えする気待ちで出来ることを準備し整えてくだされば、これ以上の御盆会はありません。期間中は仏さまとご一緒に、家族ぐるみで団欒のひとときをお過ごしくださいませ。
 十五日の夕方か十六日の午前中には送り火を焚いてお送りいたします。京都の「五山の送り火」や、各地で行われるかがり火や、どんどん焼、盆踊り等も送り火の一つです。
 殊に、新盆をお迎えの皆さまには、お辛く、お淋しいばかりですが、ご供養三昧に大事なお方が今そこにおられるが如く、仏さまとご一緒にお過ごしください。
 本日は、わざわざのご参詣なによりでございました。どうぞお健やかにお大事にお大事にお過ごしくださいませ。


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