成寿一覧表

成寿 第43号 ●盂蘭盆施食会法話
平成24
光真寺住職 黒田泰弘老師

善光寺行事報告⇒

我れ未だ渡らざる先に他を度さんとす 

 私は当山の住職の従兄弟に当たります。お祖父ちゃんが一緒、お父さん同士が兄弟ということです。善光寺の先代住職は栃木県大田原の出身で、私の師匠が長兄で光真寺という寺を継ぎました。小さい頃は先代往職を武志おじさんと呼んでいましたけれども、大圓武志大和尚がこちらにお寺を開いたというご縁で今日はお話をさせていただきます。
 私は女、男、男、男の四人兄姉の一番下で、私は三男ですが、実はここの住職さんも三男なんですね。それで、われわれは勝手に三男同盟なんてのを作った。おまけに私は男の子が三人います。三男同盟を継承するためには、自分の子どもも男の子を三人作って三男同盟にしなければいけないと、いま盛んに住職を突っついているところですから、そのうち、コロコロコロと男の子が出来ることと思います。

 叶うという字は、□へんに十と書きますが、あれは□へんにプラスと読むんですね。プラス発想をしていると願いが叶いますよ、という風に読んでいただく。皆さんもそれぞれ、いろいろな悲しみ、苦しみがおありかと思いますが、それをプラス発想にして、感謝で乗り越えていただくと、皆さんの思いは叶います。そういう話を今日はしたいと思います。
 坐禅をした方はご存知だと思いますが、調身・調息・調心の三つは坐禅の時の大切な要点です。
 まず身体を調える。そして呼吸を調える。三つ目が心を調える。当山は曹洞宗の寺ですから、宗旨は坐禅ですね。仏さまの真似をして坐っている姿、それが仏さまだということです。ですから皆さんに仏さまの真似をして、仏さまになっていただきます。
 まず身体を調える。姿勢を正すということです。背筋を仲ばして下さい。手は法界定印と言います。右手を下にして、その上に左手を重ねます。そして、親指と親指できれいな楕円形を作る。目は半眼で少し開いているのが本来の姿です。それが調身。
 次に息を調える。大きく丸い呼吸という言い方をしますが、ちょうどおヘソの下三寸の丹田のところから、身体の中の空気を全部出してしまうような感じで息を吐いて下さい。また大きく、その丹田に空気が入ってくるようなつもりで息を吸う。大きく丸い呼吸です。
 その時に空気だけではなくて、自分の中の悪いもの、悪い思いまで全部出してしまうようなつもりで吐く。そして今度は、宇宙の中の素晴らしいものをすべて自分の中に取り込むようなつもりで、大きく丸い呼吸をひと〜つ、ふた〜つ、と調えていく。
 三つ目は調心ということですけれども、心はなかなか調いません。いろいろな思いが頭の中に浮かんでくる。真面目に坐ろうと思っているのに、余計なことを言わないで下さいという人もいるでしょう。いろんな思いがあると思いますが、その思いが自分の中でわかっているということは、心が調いはじめているということでもあるんです。
 われわれは日常の中では何千、何万もの雑念がありますけれども、気付いていません。それが今こうして身体を調え、呼吸を調えていると自分の雑念に気付くことができる。それは自分の心が調いはじめていることに他ならないのです。仏さまの真似をして坐れば仏さま。曹洞宗の教えは最初から最後まで、これが全てです。
 では、ご飯を食べている自分は仏さまではないのか。居眠りしてたら仏さまではないのか。そうではないんです。ご飯の食べ方、睡眠の取り方が大切なわけです。
 皆さんが、今日お墓参りに行って、家にお戻りになって、身体を休めて、そしてまた明日元気に世の中のために働く。そういう睡眠であったならば、それは仏さまの行です。ご飯も同じことです。今日の疲れをいやし、明日も仏さまの行としていただくご飯であれば、それは仏さまの行であり、皆さま方が仏さまである。これが曹洞宗の宗風です。
 足を組んで坐禅をすることばかりが坐禅ではありません。よく作務と言いますが、草刈りであっても、ご飯をつぐことであっても、その心がけが仏さまの行であったならば、仏さまです。今日皆さんは、それぞれ、ご先祖さま、お父さん、お母さん、お連れ合い、あるいはおじいちゃん、おばあちゃん、息子さん、娘さんという方もいらっしゃるかも知れません。その方々のご供養のためにご冥福を祈っておられるわけですから、その心はまさしく仏さまであるわけです。もう一つ、その仏さまをよくよく考えてみようということですけれども、この施餓鬼はどういう行事でしょうか。お釈迦さまがいらっしゃった頃のいわれにもとづいているんです。
 目連尊者という神通力のとても達者なお弟子さんがいらした。ある時、目連尊者が神通力で自分の両親がどうなっているのかと思って見に行ってみると、天国にはいらっしゃらなかった。地獄に行ってみると、地獄にいらした。それは目連尊者のご両親が自分の子ども可愛さのために、他のことが見えなかった。その因縁によって地獄に落ちてしまっていた。
 そのことを嘆き悲しんだ目運尊者は、お釈迦さまに、どうしたら私の両親を救えますかと尋ねたら、インドでは三ヵ月間、一所に留まって修行する期間がある。生きとし生ける一切のものたちにご供養し、功徳を回し向けると、その功徳によってご両親が救われるとおっしゃった。それが今日のお施餓鬼、施食会の行事になった。ですから本日の法要は、皆さんにお集まりいただいて、皆さまのご先祖だけでなく、生きとし生ける一切のものに仏さまの功徳を回し向けてご供養し、みんなが揃って仏さまになるように析る。こういう法要です。

 哲学者の梅原猛さんは、自己とはどういうものかというと、永遠の縦軸と無限の横軸の交わりが自己だと言っている。永遠の縦軸というのは、われわれの命を想像してもらうとわかります。われわれにはお父さん、お母さんがいる。お父さん、お母さんにも間違いなくお父さん、お母さんがいる。それがずーっとつながっている。
 地球ができて四十億年と言われていますが、四十億年の因縁の中から生物が生まれて、ほ乳類が生まれて、人間が生まれてきた。その永遠の縦軸の中の一つの形が私たちです。それが永遠の縦軸。
 無限の横軸というのは、今日われわれがここに存在させていただいている命は、数限りないご縁の方々の因縁によって成り立っている。それが無限の横軸。その無限の横軸と永遠の縦軸の中で、われわれが今いるわけです。そして、ご先祖さまのご冥福を析る。それがわれわれの命だというわけです。

 お釈迦さまが最初に説かれた教えの中に、「四苦八苦」という教えがあります。お釈迦さまは法、真理を説かれた。法という字はさんずいに去ると書きます。これは水は高い所から低い所へ流れますよ、という当たり前のことを説いている。言葉を替えると、ヒマワリの種からはヒマワリの花が咲きますよ、朝顔の種からは朝顔の花が咲きますよ、ということです。
 お釈迦さまが「四苦八苦」と言われたのは、現在の世界は八苦の娑婆だということです。その最初の四つが生・老・病・死です。お釈迦さまの言う苦しみは、自分の思うようにならないということです。何月何日にどこどこへ生まれようとか、男として生まれようと思って生まれてきた人は誰もいない。自分の能力や容姿を選んで生まれてきた方はどなたもいない。生は思い通りにならないのです。
 老いるということも、一年に一つずつ歳を重ねていくことを止めることができない。いつまでも若く綺麗にいたいけれども、なかなかそういうわけにはいかない。また自分の意とは別のところで病にかかってしまう。死も当然そうです。
 残りの四つが、愛する者と必ず別れなければならないという「愛別離苦(あいべつりく)」。憎んでいる者、嫌いな人とも会わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」。欲しいと思って求めても得られない苦しみの「求不得苦(ぐふとっく)」。次から次へと煩悩が湧いて出てくる「五薀盛苦(ごうんじょうく)」。われわれは本能的に生きようとしてしまう。次から次へと欲望が湧いて出てしまう。それが苦しみだという。このハつがお釈迦さまが説いた苦です。人生は自分たちの思い通りにはならないということをお釈迦さまは最初に説かれたわけです。
 では、われわれの人生はつまらないものなのか、というとそうではない。だったらどうしたらいいのかを説いたのがお釈迦さまです。それを文字に表したのがお経です。今日は『修証義』というお経を読んで考えてみたいと思います。

 『修証義』は五つの章に分かれています。
 最初に「総序」、次が「懺悔滅罪」「受戒入位」、そして「発願利生」「行持報恩」です。
 無限の横軸、永遠の縦軸ということを言いましたが、われわれの命は悲しいかな生老病死の苦しみの中にあって、白分の思い通りにはなりません。「総序」の最初を読んでいただくと「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」と、生死という言葉でくくってあります。われわれの命は生と死の間にあることをしっかりと認識しましょう。ではどうしたらいいか。今言ったように、人生は思い通りにならない。かといって幸せにはなりたい。幸せになるためにはどうしたらいいかというところで、「懺悔滅罪」といって人生をリセットするわけです。
 懺悔文に「我昔所造諸悪業(がしやくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋痴(かいゆうむしとんじんち)、従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)」という言葉が出てきます。これを訳しますと、「われ昔より造りし所の諸々の悪業は、皆な無始の貪瞋痴(とん・じん・ち)より起こり、身と語と意(こころ)より生まれる所なり。一切われ今みな懺悔す」となります。
 貪瞋痴というのは三毒です。貪は貪(むさぼ)るということ。瞋は怒りということです。痴は愚痴の心です。これを三毒という。貪瞋痴より起こる諸々の悪業を懺悔することによってリセットする。そして今度は「受戒人位」といって、仏さまの守るべき戒を受けて、仏さまの位に入るということを第三章に書いてある。次に、仏さまになったら、その仏さまの心を心として、願を起こして、他人のために役に立ちましょうという。このところが大切なわけです。
 第四章には「四摂法(ししょうぼう)」という教えがある。それは、布施と愛語と利行と同事という四つの実践徳目になります。布施というと皆さんまず第一に連想するのは、お寺さんにお支払いする金品ですね。これは本来、お布施ではない。第四章に書いてあるように、「布施というは貪らざるなり」。つまり、喜んで差し上げるものなんです。
 お金だけがお布施ではない。無財の七施(慈眼施・和顔施・愛語施・捨身施・心慮施・床座施こ房舎施)と言って、他人に対して笑顔を向けることも布施です。布施というのは人のために施す。愛語というのは、「愛語よく廻天の力あることを学するべきなり」と書いてあります。「赤子の懐(おも)いを貯えて言語するは愛語なり」。赤子のような言葉を以て語るのが愛語ですよという。
 利行というのは「愚人謂(おも)わくは、利他を先とせば自らが利省かれぬべしと。爾(しか)には非ざるなり。利行は一法なり。普く自他を利するなり」とあります。これは奥さんにご主人が、「お前の作ったご飯、美昧しいね」というとお互いに嬉しい。自分のことはさておいて、他人のことを思って行動する。自分の真心を施す布施でもあるわけです。自分のことはさておいて、他人のことを第一に置きましょうよということです。
 同事というのは、「海の水を辞せざるは同事なり。この故によく水聚(あつま)りて海となるなり」と書いてあります。今日これだけ大勢の皆さんがお集まりですけれども、一人で皆さんが仏さんにご供養するよりは、大勢でするほうが、おそらくは、ご功徳は大きいと思います。その時に好き嫌いを言わない。みんな集まって一緒になって、ご供養する。同志がみんなで集まって、一緒になってやった方がいいんです。これが同事。
 これが「四摂法」ということです。この四つの徳目を実践をしていくことが仏さまになるべき道です。
 最後の第五章は「行持報恩」です。これは行を持(たも)っていくということで、続けてずっとおこなっていくことです。
 われわれには生死があります。命は限りがあります。人生は思い通りになりません。でもそれが不幸の種ではない。まず自分の気持ちをいったんリセットしましょうよ。今まで悪いことをしたかも知れないけれど、心を改めましょう。そして「受戒人位」ですから、仏さまが行うべき行をしていけばいいわけです。
 仏さまの真似をして坐禅をすれば仏さまだという話をしましたけれども、何も坐禅をしているときだけが仏さまではない。心の方向が人のために働くんだというのが仏さまです。「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」。我れ未だ度らざる先に他を度さんとす。我より先に人を度さんと願えば仏さまになる。その徳目として具体的には布施、愛語、利行、同事の四つがある。これは四つですけれども、言葉で布施をしますと愛語でもありますし、布施にもなる。四つの中にまた四つあるので十六あるとも言います。要するに人のために働く。そしてその行いを恩に報いるように続けていくのが仏さまの行いですよということです。これが『修証義』の教えです。
 私の師匠は常日頃、「有り難うと言っていると人生は変わってくる。どんな辛いことがあっても、悲しいことがあっても、有り難うと感謝で受け止めると、人生は変わるんだ」とおっしゃっています。そこで最後に皆さんで合掌して、有り難うございますと十ぺんお唱えして終わらせていただきたいと思います。
 それではご一緒にお願いします。
 有り難うございます。有り難うございます。
 有り難うございます。有り難うございます。
 有り難うございます。有り難うございます。
 有り難うございます。有り難うございます。
 有り難うございます。有り難うございます。
 本日は有り難うございました。これからも「有り難うございます」を胸に素晴らしい人生を送られるようご祈念申し上げます。


※平成24年6月の施食会の時には光真寺副往職としてご法話を頂戴致しました。

ページ先頭へ

  成寿一覧表